「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだい、ミク」
「(来月の)明日は何の日か知ってる?」
「世界で一番可愛い女の子の誕生日」
「うふふ、わたしね、お誕生日プレゼントは絵本がいいと思うわ…」

「ということで、わたしからお姉ちゃんへのプレゼントはご本にするの」
「うんうん。いいと思うよ」

そんなやり取りをしていた頃。
暦の上では初冬とはいえ、昼中の陽光は未だ焦がすようにカイトの腕を射していた。
収録に向かう道すがら、スタジオの最寄駅のコーヒーショップで買ったフロートを崩しながらのささやかな密談。
ほんの1月と少し前、6歳の誕生日をつつがなく、そして華々しく迎えた妹は去年よりも一歳分声に深みを増した。
彼女が師として、家族として絶対的な信頼を向ける姉の誕生日を、次なる節目として大切に感じているのだとはにかみながら打ち明けてくれた、
石畳の歩道とジャック・オ・ランタンの飾られたショーウィンドウ。
唐突に思い出した風景は随分と昔のことのように思われたが、されど光陰矢のごとし。
明日は霜月五日の、その日である。


Happy Birthday,Pile up Birthday

玄関のドアが静かに閉められ、次女のその濃やかさにカイトは満足げに目を細めた。
お気に入りの水玉のスニーカーは軽い音を立て、あっという間にミクを連れ去っていく。
帰りが遅くなることを知っているのは長兄の彼だけ。
仕事帰りのミクが立ち寄るころ、ルカのマンションにはデコレーションケーキの材料が所狭しと並んでいるはずだ。
百貨店の地下で諸々買い揃えるつもりだという末の妹は、執拗に長姉の動向を彼に尋ねてきた。
その日は夜更けにならないと解放されない旨を13回繰り返し伝えたところで、疑り深いルカはようやく納得し帰って行った。

リンの机の引き出し、とっておきの宝物ばかり入った鍵付きの小物入れには、
昨夜カイトが留め金を付けるのを手伝ってやったパールビーズのブレスレットが
少女の好きな色とりどりのリボンでラッピングされ、出番を待っていることだろう。
レンとミクに何度も相談し、その度に試行錯誤していたかと思えば、完成間近になって一から作り直すといった具合に、
彼女の考えうる限りの最高の出来を目指したその腕飾りは、カイトの目から見ても値札が付けられるほどの完成度だった。

レンの帰宅を待って、パーティーは幕を開ける予定だ。
2週間ほど前から偶然にも仕事が集中し始めた思春期の弟は、繁忙期をバネに意外な成長を見せた。
「ブーケ?レンくんが用意するの?」
「まぁな。オレじっくりプレゼント用意する暇なかったし」
「えー、大丈夫なのぉ?レン花のことなんて詳しくないんだし、カタログなんて恥ずかしくてもらいに行けないじゃん」
「うるせーな。もう予約してあんだよ。土曜日に駅前の花屋行って、店の姉ちゃんに予算言って見本見せてもらったし」
「!?」


メイコの収録は11/2の朝から多忙の極みにあった。
365日のうちでもっとも盛り上がる生誕祭に向けたこの3日間は彼女にとって一番忙しい時期。
これまでの一年間の集大成及びこれから一年間の活躍を願って、11/5の始まりと同時に多くの曲が世に放たれる。
最後の音入れを終え、スタジオの門を出たのはそろそろ日付も変わりそうな深夜だった。

「めーちゃん、お疲れ様」
街灯に照らされ、スポットライトを浴びたかのように男は立っていた。
「カイト!」
第一声が咎めるようなトーンになってしまうのは長姉の性だろう。
感情がすぐ表に出る素直な――家族のだれに対しても、とりわけメイコには特別懐こく接する温和な弟は、
彼女の手を取ろうと嬉々として寄ってくる。
重圧から解放された本心が、彼の暖かさを欲していた。一方で長姉としての立場が口元を引き締める。
こんな寒い中、風邪でも引いたら一体どういうつもりで。

「あ、足元気を付けて…」
慌てたその声を最後まで聞く前に、駆け寄るメイコのつま先は小石を踏みつけぐらりと傾いだ。
バランスを崩し前に出された右手を間一髪で引っ張り上げたカイトの素手は冷たく、ずいぶん前からそこに立ちすくんでいたことがうかがい知れた。
まるで、たった今着いたところだと言わんばかりの顔をして。
星も見えない冷たい曇天の下でどれほど待ったことだろう。
「大丈夫?」
「うん…。ごめん」
「足挫いたりしてない?嘘ついたら無理やり抱っこして帰るからね」
「平気だってば!ほら、ちゃんと歩けるわ」
じっと睨む真似をするカイトに滑った方の足をぷらぷら振って見せる。
なら良し、と表情を崩した男はメイコの手を軽く引き、しんと静まり返った道を家に向かって歩み始めた。
大きな掌は彼女の手首から先をすっぽりと包み込み、徐々に温もりが伝わってきた。
メイコの体温が伝染したというよりは彼自身の脈が刻みを速めているようだ。
「心配かけちゃったね」
「ん……びっくりした。めーちゃんが怪我なんてしたらみんな悲しむよ」
せっかくのお祝いが待ってるのにさ、と付け加えたカイトはくくっと含み笑いをした。
「よかった。やっとめーちゃんが戻ってきた」
「…随分待ったでしょう?迎えに来てくれるなら一言連絡くれたらよかったのに」
「いいんだ。僕が待ちたかったんだ」
待つ?なんでわざわざ。
メイコは訝しげに首をひねった。
カイトは上機嫌で続けた。
「めーちゃん。今日は何の日?」
「さあ…。追い込みが忙しくてあまり考えていなかったわ」
「思いつくもの、何か言ってみてよ」
「えーと…。今日は11/4。ミクのお弁当の日。明日お休みをもらってるから、巻いてでも仕事を全部終わらせる日。 そして、私の誕生日の前日…ってところかしら」
「当たり!」

カイトはメイコの手を握ったままくるりと身を翻し、もう片手もメイコの左手に回した。
弾みでメイコが肩にかけていたスエードの鞄が手首へ滑り落ちる。
「明日はめーちゃんの誕生日…なんだけど、今日はイブでしょ。バースデー・イブ」
逆光の中でもきらきらと光る狐目、上気した頬、満面の笑み。
「もちろん明日はみんなでパーティの予定なんだけど、」
「イブは僕だけがもらっちゃいたいなーなんて…」
出だしの勢いに任せて矢継ぎ早に重ねられた言葉に、メイコは思わず吹き出してしまう。
「え、笑うとこなの!?」
「ごめんごめん…なんかおかしくって」
「何で!」
「だって、仕事帰りだし、ヨレヨレだし、深夜の道端でこんな告白めいた言葉がくるなんて想像もしてなかったの」
「みっ!…道端、だよね。確かに…」
今まで張り上げていた大声を急に潜め、不審な挙動で周囲を見回すその姿は、ますますメイコのツボにはまることとなり、
カイトは小声で不服を申し立てるやら居た堪れなさに耳を赤くするやらで、落ち着くころにはすでに帰途も終わりに近づいていた。

まったくカイトらしい、と実のところメイコは密かに心を和ませていた。
今日の仕事が終わるまでは、プロとして仕事をきっちりこなし、明日の朝からは家族の好意に身を委ねようと線引きをしていたはずなのに、
いつも予期せぬタイミングで線を飛び越えてメイコを自分のペースに引っ張り込むカイトの存在には、これまでもたくさん助けられてきた。
現に、帰宅するまでは職業人と決めていたはずなのに、すっかり休日のデートの帰り道のような雰囲気だ。
帰ったらまずシャワーを浴びて、お酒は控えて早く休もう。
楽しみな明日に備えて。
明日。
そうか、今日はもう終わってしまう。

「めーちゃん」

玄関のドアを目前に、急に立ち止まったカイトがメイコの袖を引いていた。
俯き加減で視線を忙しなく走らせ、暫し後に意を決したようにメイコの顔を覗き込む。
「僕はめーちゃんが生まれた時まだいなかった。めーちゃんは僕のことずっと見ててくれたのに」
「だから、めーちゃんの誕生日の前日に、お祝いしたかったんだ。僕が存在してなかった頃のめーちゃんも祝ってあげたくて…」

「生まれてきてくれてありがとう…」


「あ、あなたは、僕の希望そのものですっ……!」


「カイト……」

1年と3ヵ月年下の彼は眉尻を下げ、口をへの字に結び、感情を堪えるように強く拳を握り締めてメイコに正面から向き合っていた。
泣きそうに、否、感極まって本当に涙が滲んだ瞳に、さすがの彼女も茶化すことをためらわれた。
それはあまりにひたむきで、脆くて、まるで初めて顔を合わせた日のような純真さで。

ピピッと小さくアラーム音が鳴る。そうだ、休憩中にセットしておいたものだ。
仕事が長引いた際に、一息つく目安にしようと思っていた、日付が変わるその時刻を。


「ハッピーバースデー、メイコ。……これからも僕の素敵なパートナーでいてください」

ああ、この眼は何も変わっていない。
始めて会ったあの日から。
同じ道を歩んできた、同調と、信頼と、安寧と。
彼の気持ちに応えるため、メイコは幸せを噛みしめながらこう返す他に選択肢はない。

「――ええ。もちろんよ。私の最高の」



私の最高の、誂えたようにぴったりの、世界でたった一人の、大切な貴方。



新たな飛躍の年は、ここから始まっていく。






大好きな某アーティストさんの曲に少し影響を受けています。
これからもMEIKOを始めとしたボカロ界が末永く栄えていきますように…

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