目を閉じて、一言だけ。
ぽつりと漏らしたその言葉は。


A Sortie in the Rain



降りやまない雨はむき出しのリンの肩を伝い、冷え切った指先から引っ切り無しに滴を零していた。
濡れた衣服が肌に張り付き、小さくか細い身体から容赦なく熱を奪っていく。
びしょ濡れの前髪が煩わしくなり、目をこする。
撤退命令は既に出ていたが、ここを離れるわけにはいかなかった。
魂を分けた片割れが近くにいるはずなのだ。
戦局は五分五分。追いかけてきた敵軍に見つかる可能性は捨てきれない。
叫びだしたい苛立ちをぐっと飲み込み、少女は歩を進めた。


交戦中の両者を襲ったゲリラ豪雨は大分雨足を弱めていたが、
視界は未だに不明瞭でミクのため息は戦車内の窓ガラスを白く曇らせた。
落ち合い場所として決めてあった此処に到着してからそろそろ20分が経つが、きょうだい達は誰も姿を見せない。
通信を使おうにも今回指揮車として出したこのメカは予備機体なのでこちらから発信することはできなかった。
本来の指揮車は先の出撃で大破し鋭意復旧中となっている。
味方の状況無線を受信するしか現状を知る術はないが誰からも音沙汰がない。
唯待つしかない中でミクは心細さに身を縮めた。
早く、早く帰ってきて。


「くそっ…!どこだよここ……」
呟いたかすれ声にガチッという音が重なる。
空き缶を踏みつけた靴の先は破れて泥水がしみ込んでいる。
とはいえ全身が濡れそぼったこの状態ではもうどうでもよかった。
動きを止め身を竦ませ、音に反応するものがないことを確認し、再び忍び足で次の遮蔽物を目指す。
(リンの声が聞こえねえ…)
あまりに離れすぎてしまったのだろう。
鏡のような双子と言われても、物理的に離れた場所にいると共鳴することもできない。
おまけに、敵側のジャミングのおかげで通信機器は封じられている。

奇襲を受けた際、咄嗟に飛び出していた。
隣にいた少女から目をそらさせるために。
軽はずみなことをしてしまった。
バラバラになるなんてこの状況下では一番避けなければならないことだったのに。
思慮深くあれ、とはいつも長姉から言われていたことだった。
でないとあんな風になっちゃうわ。
顎でしゃくられた兄は何か言いたそうだったが不服そうにため息をつくにとどまった。
自覚があるのだろう。
あの二人はどうしただろうか。
オレらを後方に追いやってから退却したのだろうが、今は逆にオレの方が最前線にいるのかもしれない。
もしくはそう遠くない先方ですでに交戦しているのか。

「!」
気配を感じた。

建物を曲がった角に誰かいる。
騒々しい追手ではない……単独の戦闘員か。
幹部クラスだとオレ一人じゃ太刀打ちできない。
距離を置こうと後ずさったそのとき、小さく呻き声がした。
手負いか。不意をつけば倒せるかもしれない。
でもオレだってベストなコンディションとは言い難い。
刃渡りの短いナイフを後ろ手に握りしめ逡巡する。
もし一撃で倒せなかったら?
もし相手の方が動きが早かったら?
……でも迷ってる暇はない。
念のためもう片手に目潰し弾幕を用意し、覚悟を決めて飛び出した。


「姉さ…!……レン!?」

「カイ兄…!」

薄暗がりから聞こえた声は思ったより下からで、司令官である兄は臨戦態勢どころか座り込んでいたことを知った。

「レン、肩の怪我見せて」
ふらりと立ち上がった兄は冷え切った手でオレの腕を掴んだ。
「カイ兄こそ、どっか痛めてんじゃねーの」
外傷は見当たらないようだが動きが緩慢だ。
「僕は大丈夫だよ。リンはどうした?ミクとは連絡取れた?」
しゃべりながらも銃弾が掠めた傷跡を拭われ消毒薬の瓶の中身がぶっかけられ手際よく絆創膏が貼られていく。
オレは黙って首を横に振った。
「そっか。ミクは大人しく待機してくれてるだろうけど、リンはレンを探して前に出てきちゃうかもしれない。
磁石渡すから、早く戻ってやって」
その言葉でやはりここは前線に近いんだと認識する。
そしてカイ兄はメイ姉とはぐれたんだとも。
それにしても。
「なあ、姉さんって何だよ」
「気にしないで。忘れて」
俯いたままポケットから出てきた小さな磁石はオレの手に握らされた。

遠くで爆音が小さく響き、はっと顔を上げる。
戦ってるのはオレ達だけじゃない。
それでも真っ先に浮かんだのは片割れの安否だ。
「さ、早く行くんだ」
カイ兄はさっきまでの腑抜けた体勢ではなく、オレを背に庇うように、今来た道へと押しやった。

「嫌だ。オレも残る」
「レン?」
その言葉が意外だったのか青い瞳が訝しげにオレを見下ろす。
オレ自身も咄嗟に言ったその言葉に少し自分を疑った。
でも、見てみたかったのだ。
いつも守られてばかりで遠ざけられていた兄姉の戦い方ってやつを。

「……僕はめーちゃんみたいに優しくないから止めやしないけど。でも、今日は戦いに行くんじゃない。
めーちゃんを回収したらすぐ撤退するからね」
「メイ姉どうしたんだよ…!まさか、捕まったとか言わねえよな!?」
「静かに。大丈夫だとは思うんだけど、僕も連絡が途絶えてからは分からない。
だからあまり派手には動かないように進まなきゃ」
そんな一刻を争うときに座り込んで何やってんだよ、と思ったがここから先に進むには兄貴の力が必要だ。
黙って頷く。
雨でびったり背中に張り付いたシャツが気持ち悪かった。


長らく沈黙していたレーダーに、一瞬ザザッというノイズが走ったかと思うと、オレンジの点が表示された。
「リンちゃん!」
膝を抱えて座っていた椅子から飛び上がると食い入るようにモニターを見つめる。
場所はそう遠くない。
しかし彼女以外の反応は散見されず、リンを表す点すらレーダーの外に少しずつ向かっており、
このままだとリンもまた遠くに行ってしまうに違いない。
再びノイズが走り、電波は途絶えた。
慌ててモニターを斜め45度からチョップすると払い下げの昭和の遺物は弱々しく機能を回復させた。
ジャミングの隙間を縫って反応を捉えているのだろう。
長く持たないことはミクにもわかっていた。
「うー……」
出撃前に姉は言った。
いい、ミク。司令塔を守るのはあなたよ。戦場という海原の中ではこの指揮車が灯台になるの。
あなたはここから離れてはだめ。ここはみんなの拠り所なのだから。
「うーー……」
オレンジの点がレーダーの有効範囲から消えようとしている。
モニターは切れたり付いたりを繰り返していた。
「……。………お姉ちゃんごめんなさい!」
ミクは緑と白のツートンカラーに塗り分けられた、バールのようなものを握りしめて立ち上がった。
モニターは完全に沈黙したが、リンの位置は覚えている。
「リンちゃんとだけでも合流しなきゃ」
戦車のドアを外からロックしたミクは、目印の乾燥ネギを等間隔でばら撒きながら、泥水をはね上げて妹のもとへ急いだ。


雨は小降りになってきたが、濃いミルクのような霧が視界を狭めていた。
目を凝らさないと目標である建物の影形すら揺らぐ。
少し前を行く兄は長いコートの裾をたまに掃いながら瓦礫の斜面をひょいひょいと降りていく。
優しくない、と言ったのは本当だった。
必死で着いてくるレンをたまに振り返るくらいで全く自分のペースを乱すことはない。
なあ、ちょっと待ってよ!
そう口を開きかけた瞬間、ずるっと右足が滑った。
尻もちをつくことはなかったが、倒れまいと出した左足だけではとどまらず
派手な音と共にトタン屋根の破片を踏み割り、つんのめったところをカイトの腕によって引き上げられた。
顔面衝突は避けられたが、霧の向こうから気配や足音がいくつも聞こえてくる。
その中に気の強そうな甲高い声と金の長い髪がちらっと見え、レンはげんなりして嘆息した。
「……ごめん」
「いいよ。足大丈夫?走れそう?」
折り畳み式の等身大デコイを準備し始めたカイトに無言で頷き、レンは爆竹を2時の方角に投擲する。
悪く思うなよ。オレは今リンのことで頭がいっぱいなんだ。
敵の意識が逸れたのを確認し、今度は慎重に平地に降り立つ。
向かう先は半壊した廃屋だ。


「あぁッ!」
敵の太刀筋を辛うじてかわしたところで少し大げさによろめいて見せる。
荒い息を吐いて上目使いで睨み上げると相手の目が罪悪感に揺らぐのが手に取るように分かった。
その隙をついてハイキックで顎を蹴り上げる。
「残念。下はスパッツなのよね」
のびた相手を跨ぎ、先を目指す。正確には帰路に着いているのだが。
今ので5人目だった。
敵側のネットワークは健在のようだ。こちらは通信さえ封じられているというのに。
「う……」
頭の奥が痛み足がもつれるのを、壁に縋りやり過ごした。
さっきの弱ったふりはあながち演技でもなかった。
戦闘の中にある疲労と緊張感…それだけでは説明がつかない。
大怪我をしているわけでもないし、出血も少ない。
しかし、全身の小さなかすり傷から痛みが増幅され脳に叩き付けられている。
油断すると意識が飛びそうになる中、それでもメイコは自分のなすべきことを放棄はしなかった。
霧雨の中、轟音と共に野戦キャンプがまた一つ崩落する。



「――昔」
カイトは手持ちの道具の中から火種をかき集めている。
「少しの間だけ、めーちゃんのことを姉と呼んでいた」
レンは乗り捨ててあった車から持ち出したガソリンを少しずつ容器に移し替えている。
「ミクが来るまで僕とめーちゃんは同僚だった。めーちゃんが先輩で。僕が後輩で」
即席火炎瓶が一つ、また一つ量産されていく。
「僕が独り占めしてためーちゃんはミクのお姉ちゃんになるんだ。そして僕もミクのお兄ちゃんになって、めーちゃんの弟になるんだと思った」
「でも、僕はどうしても言えなかった。口に出したら自分の気持ちが分かってしまうのが怖かった。
 僕はめーちゃんの弟にはなりたくなかったんだってこと」
レンは作業に没頭している振りをして、何気ない素振りを装った。
兄はこんなことを何故自分に話すのか。こんな場所で。こんな時に。
「ミクの前ではいつも通りめーちゃんで通すつもりだった。でもお姉ちゃんの喜びを知っためーちゃんは本当に幸せそうで。
僕にもそう呼んでほしい、と言われたらもう立ち直れないと思って、それで二人でいるときに自分から"姉さん"と呼んでみた」

めーちゃんは否定も肯定もしなかった。
ただ自分がそう呼ばれたことを認識して、返事をした。


「そろそろ行こうか」
「これ全部持っていくのかよ」
「足りないぐらいだよ」


次の日3人になって初めて戦いに出た。
そして気づいたんだ。
今までのように2人で組んでやってきた方法では、3人に増えた味方を勝たせることは難しいってことに。
指令の立場を与えられた「カイト」は「メイコの弟」で「初音ミクの兄」でなければならなかった。
僕はそれまでめーちゃんのことだけ気にしてればよかった。
でもミクは誰が守ってあげる?誰がサポートに回る?
組織になった僕たちは一本の糸だけでは繋がれない。
今までみたいにペアで動くことはできない。
だから「家族」になるんだと。


「レン、腕をあげたね」
「よゆーよゆー。訓練の成果見せてやる」


作戦中、僕は「MEIKO」「初音ミク」の呼称を使った。
愛称も役柄も拭い去って、チームとしての3人にふさわしいと思ったから。
一人前扱いされたミクは張り切って返事をし、めーちゃんは相変わらず関心なさげに頷いた。
家に帰ると僕はお兄ちゃんとしてミクのレッスンに付き合い、姉さんの仕事を手伝った。
3人でいる日常が根付き始めていた一方で、胸のつかえがだんだん大きくなっていった。
僕はめーちゃんに淡い恋心を持っていて、それを自覚したのが家族になったときだなんて。
作った笑顔を貼りつけて「姉さん」と呼ぶ度、胸の奥に刺さったままの刃物が傷口をまた深く抉る。
肺に溜まったどろどろした血は、夜中に吐き出す夢を見る。
こんな気持ちは誰にも知られてはいけない。
勝手に恋慕されためーちゃんにも、何の罪もないミクにも。


「で、いつ辞めたのそのウジウジ」
「それがさ、ばれちゃって」


めーちゃんが倒れた。
撤退戦の途中で首元を掠めた銃弾が、押さえた手をあっという間に真っ赤に染め上げる。
はちゅねタンクで出撃したミクが敵を屠っていく中、僕は止血するために傷口に布を当てながらひたすらめーちゃんを抱きしめた。
ラボに収容され、一命を取り留めた後も、病室でめーちゃんの手を離すことはなかった。
このひとを失ってしまったら、僕も終わりだ。一生後悔するだろう。
お利口さんなふりをして、虚ろに笑うだけで、何でちゃんと気持ちを伝えなかったんだろうって。
めーちゃんは助かったのに、僕は全然救われた顔をしていなかった。
うわ言のようにずっとずっと名前を呼び続けて、僕の方が死の淵に立っているようだった。

その時に言われたんだ。
猫かぶるのそろそろやめたら?って。
「……弟じゃなくても、僕のこと必要としてくれるの」
「私はあなたに血縁関係を強要した覚えはないわ。もちろん家族には違いないけどね」

だから辞めてやった。
ミクも、お兄ちゃんはお姉ちゃんのこと"めーちゃん"って呼んでる時の方が幸せそうな顔してるって言ってくれた。


「でも一番のきっかけは、君らが来たことじゃないかな」
「何でオレたち?」


「リンちゃん!」
ずぶ濡れの身体を抱きしめると、芯から冷え切っているのが分かった。
「…ミク姉」
泣き出すのを我慢しているように声が震えていた。
「レンがいないの。あたしを庇って囮になって飛び出してったから」
怒ったような強い語気も気を抜けば崩れそうな膝を立たせるためなのだろう。
頬をつたう滴は雨なのかそれとも。
「リンちゃん、レンくんは大丈夫だよ。すばしっこいからきっと捕まってなんかないよ。
ただ帰り道が分からないだけだと思う……」
気休めにもならないことは分かっている。
しかし一旦帰投させねばリンの体調にも影響が出る。
指揮車に帰って出直そう、と促すが、妹は頑として動かない。
「ミク姉こそ、出てきたらメイコ姉ちゃんに怒られるよ」
「うん…。でも……」

遠くで爆音がかすかに響き、空気が揺れるのが分かった。
追手がついに前線を突破してきたのか。
力ずくでもリンを収容しないといけない、そう思ったミクがもう一度リンの腕を引こうとしたその時。
「っ!!聞こえた!レンがいる!!」
双子の感応テレパシーが作動したようだ。
「よ、よかった!レンくんはなんて?」
「……無事だって。カイト兄ちゃんと一緒にいるみたい。今からメイコ姉ちゃんを救出に向かうって」
バケツの水をかぶったように、髪の先からはとめどなく雫が滴っているが、
トレードマークの白いリボンだけは生きているかのようにピンと張っている。
「迎えに行った方がいいのかな?」
「……うん。ちょっと待って」


リンは無事だったみたいだ。
咄嗟の判断は間違っていなかったようで、ほっと胸をなでおろす。
追いかけてきたミク姉とも合流できたようだし、あとはメイ姉だけか。

ところどころ罠を仕掛けつつ、的確にキャンプを破壊しつつ大分前線まで出てきた。
時たま小競り合いの音が聞こえてくる。生身でこんなところまできたのは初めてだ。
カイ兄の装備は現地調達を繰り返し大分豊富になってきている。
これならメイ姉を見つけたらすぐに撤退できるだろう。

「便利だよね。感応通信。デフォで使えるなんて双子はやっぱり得だな」
「まあな。でもよっぽど集中しないと使えないし、日常ではからきし通じないから、戦場オプションなだけだよ」
「あって困るものではないしさ。やっぱりちょっとうらやましいなぁ」
のんびりとした口調とは裏腹に、拳がぎりっと握りしめられる。
メイ姉に近づいているのかどうかすら分からないまま戦場を進む。
その焦りと苛立ちはレンにも伝わってきた。
卑怯だのヘタレだの色々言われているが、やっぱり兄の本質はシスコンではない方の"姉"依存症なのだろう。
もしもの場合はレン達をあきらめてでもメイ姉を救い出すのだろうことは、雰囲気でダダ漏れだ。
それを責める気にはなれない。レンにとって相手がリンにすり替わるだけで、その気持ちは手に取るようによく分かる。
今のところそんな殺伐とした事態になっていないのは、すべてを包み込み誰も犠牲にしない主義の長姉のおかげに他ならない。

「オレらが来たことがきっかけってどういうこと?」
「ああ、家族の枠って、思ったより自由なんだなってことかな」


「敵の幹部と言えども、動けないところを叩くのは人道に反するのではないか」
「ですが班長!仲間が何人もやられています!俺はこの女が憎い…許可をください!」
「まあ待て。本部に指示を仰ぐ。おそらく人質として確保せよとの指令がくだるだろうな。
搬送の準備と病院の手配だけすぐに取れるよう準備しておけ」
「くそっ!MEIKOめ…。班長の温情に感謝するんだな。俺一人なら八つ裂きにしてやるところだ」
うるさい。うるさい。頭ががんがんする。
消耗しきった体は横たわったまま動かすことができず、私を発見した敵兵が私をすぐに殺さないことぐらいしか認識できない。
出て行った上官は本部と通信をとるのだろう。
見張りについた下士官を倒して、脱出……できるかしら。
ぴくりと指先を動かすと、途端に銃が脳天をマークする。
さて、どう出るのかしら。私の相棒は。


「カイ兄…」
「分かってる」

装甲車のそばで本部に連絡をしている敵兵はメイコを捕えたことを報告していた。
生きてはいる。ただ動けないとはどの程度の状態なのか。
詳しい内容はうかがい知れなかったが、場所は分かった。
レンに目くばせをすると、敏い弟は察してくれたようだ。
通信を切り終わったのを確認し、レンが小石を壁に投げつける。
物音に注意を取られた隙を狙って背後から首を締め上げた。
「はい、一丁上がり。レン、縛っといて」
「りょーかい」
気絶したおっさんをレンが装甲車のタイヤに括り付ける。
より屈辱感を与えるために、うさぎさんの持ち手がついた縄跳びを使用しておいた。
残るは雑兵のみ。ガラスの割れた建物に堂々と侵入する。
人の気配のする部屋は1か所だけ。敵軍もずいぶん人手不足のようだ。

「邪魔するよ」
隠しもしない足音に味方が来たと信じて疑わなかった甘ちゃんの新兵は、
一瞬呆けたような顔をして、慌てて僕に銃を向け、すぐに足元の人質にポイントし直した。
うつぶせで倒れているメイコはほとんど反応しない。
「さて」
ひょいと両手を挙げてみせる。丸腰アピールならよかったのだが、
略奪アイテムが豊富すぎたため、両手に銃、ベルトにも銃、コートの内側に弾薬と手榴弾、腿と足首にナイフのフルコースだ。
「おたくの上司は外でお寝んねだけど、君はどうかな?疲れてるだろうからゆっくり休ませてあげようか」
口元だけで笑ってみせると呑み込みの早い坊やは人が殺せそうな視線で睨んできつつも大人しく銃を床に置き、降参のポーズを取った。
運のいい奴だ。もしメイコに何かしていたとしたら、問答無用で撃ち殺してやるところだった。
「いってよし!」
そろそろと僕を伺いながら部屋を出て行った敵兵は姿が見えなくなった途端走り出し……派手な音とともに転倒したようだ。
っしゃ!と弟の声が聞こえる。ぞうさんの縄跳びはうまく活用してくれたようだ。

「めーちゃん!」
駆け寄り抱き起した身体にはまったく力が入っておらず、苦しげな呼吸が耳を撫でた。
酷い熱だ。雨に打たれながらずっと戦ってきたのだろう。
傷を負い、荒く呼吸を繰り返す度に揺れる肢体は匂い立つような色香を放ち、対照的に冷え切った指先や脚は青白く見えるほどに色彩が抜けていた。
「遅くなってごめん。もう大丈夫だから…」
「か、いと」
うっすらと目を開けたその視界に僕は入っているのだろうか。
「みんな、は」
「無事だよ。レンが一緒に着いてきてくれた。今ミクとリンが指揮車で迎えにくるところだから、僕らも撤退しよう」
よかった、と呟いたメイコは意識を手放した。
派手な怪我はしていないようだから、高熱によるダウンか。
念のため帰ったら精密検査しなきゃ。


独りで戦ってきた華奢な武神は僕の手の内に戻った。
「ごめんね、姉さん」
そっと目を伏せ小声で囁いた謝罪はきっと届いていない。
彼女のことを姉と呼んだ短い日々が終わっても、冷静さを欠くようなことがあれば密かに心の中で唱えてきた。
彼女は僕らというチームの礎で僕の後ろには3人の少年少女がいる。
メイコを贔屓してはいけない。家族みんなで生きて帰るのが目的だから。

あの時、レンに見つかった瞬間、鎮痛剤でやや意識が茫洋としていたこともあり、軽い足音を聞き違えてうっかり口に出してしまった。
いつものように軽くいなして後方に向かわせればよかったのに。
何故か同行を断る気にはなれなかった。
結果的にレンと行動したのは正解だった。
守るべきものがいれば無茶をすることも自棄になることもなかったからだ。
意識がすっきりしてくると、メイコを見つけられなくて苛立ちに任せて噛み切った唇が、爪の食い込んだ掌が、
考えなしに突っ込んでいった白兵戦で負った脇腹の切り傷が、バカげたことのように思えてくる。
情けない昔話をしながらも、兄としての体面は行動で示せたのではないかと自画自賛してみる。
……自業自得の傷のことはメイコには絶対に黙っておこう。


「結局オチは何なのその話」
「聞きたい?」
「ここまで語っといてそれはなくね?」
「そうだなぁ。僕たちは家族だ」
「うん」
「でもめーちゃんと僕は姉弟ではない家族ってこと」
「知ってる」
「マジか」
「まあ、血縁関係があってもなくても、姉ちゃんと兄ちゃんがくっつく家って珍しいと思うけどな」
「逆に考えるんだ。若い男女が暮らしているところに年の近い子供たちが転がり込んできたから体裁上5姉弟を名乗ってるだけだって。
そもそも、血縁関係を持ち出すなら君たちはどうなんだ"カガミネ"?」
「……分かんねー。今んとこ俺らは双子だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「いつか悩むときがくるさ。その時がきたら僕らに相談してよ。僕はレンとリンに答えをもらったからさ」


いつの間にか西日が差していた。
雨雲は去り、味方の陣営に近づくにつれ無事な再開を喜ぶ声があちこちから聞こえてくる。
轟音と共に予備指揮車が近づいてきた。
なんだかすごく懐かしく感じる。
ハッチからまずリンが、次にミクが飛び出してきた。

「めーちゃん、僕らのきょうだいは今日も全員無事に生還したよ」
熱い身体を抱えなおし、眉を顰めて眠る額にそっと頬をあてる。
駆け寄ってくる妹たちにレンが長姉の容体を説明し、静かにするよう宥めていた。
レン。君はいつの間にか一方的に守られるだけでなく随分と頼れる弟になっていたね。
背中を任せられる日がくるのももうすぐだろうな。

この話だけはめーちゃんが元気になったらしてあげよう。


さーて、凱旋パレードとしゃれ込みますか。









カイトの独り相撲話。夫婦も親子も兄弟もみんな家族である。
卑怯ってなんだ。卑怯ってなんだYo……師匠……。

inserted by FC2 system