ふわふわと、漂っていた。
身体を包むのは水の流れか、髪を撫でるのは風の流れか。
耳元で聞こえるのは揺らめき燃え盛る炎か、もしくは0と1が奏でるノイズか。
指先に触れるは柔らかな抵抗。
朦朧とした意識の中で、身体を動かすこともかなわず、ただ手足を投げ出して浮かんでいた。
ふいに、手首が掴まれた。緩やかに圧が加えられ、ぐん、と手を引かれる。
上か下かも分からない「そこ」へ引きずり込まれていく。
光も闇も見えない。暑さも寒さも感じられない。
心臓だけが抗うように静かに高鳴り始める。
ああ、くる。きてしまう。
そして、
がくんっ
衝撃にはっと息を飲み、目を見開く。
「……ぁ………」
暗い部屋に自分の声が小さく響く。天井の木目、布団の匂い。
何の代わり映えもしない寝室。
ゆめかうつつかと問われれば、後者。
ここは現実に他ならない。
「…んー……? め、ちゃん?」
不明瞭な発音で紡がれる私の名前。
ごそりと掛け布団の中身が動き、冷えた空気が流れ込んできた。
ジャーキング・シンドローム
「…何でもない。起こしちゃってごめんね」
もしかして、至近距離で寝ていた彼の脚でも蹴飛ばしてしまったのだろうか。
仰向けの身体を横に転がし、先ほどまで隣で寝入っていたはずのカイトと向かい合う。
そこには、いつものようにほわっとした笑みを浮かべた顔。
「こわい、夢みたの? かわいそうに」
枕に押し付けられた頬のせいで、設定年齢よりも幼く見える成人男性型のボーカロイドは、私よりいくらか太く長いその腕で、私の身体を抱き寄せ、包み込む。
「僕が…ついてるから、安心して、眠っていいからね」
頭上で囁かれる声を、彼の温かい腕の中で聞いた。
私の髪をさらさらと撫でる右手は、じきに緩慢な動きになり、ぱたりと枕に落ちる。
吐息はすでに規則的な寝息に戻っていた。
「カイト…、ねぼけてる……?」
普段の騒々しい甘えっぷりからはなかなか想像しがたい、彼の意外な一面に、思わず呟きが漏れた。
冷えた肩をすっぽりと包みなおした毛布、私より高い体温の腕が触れている脇腹や背中。
じわじわ温まっていく身体に比例して、胸の奥にも熱が灯るの感じる。
ミクやリンの気持ちが少し分かった気がした。
きっとこれが「お兄ちゃん」なのだ。
付き合いこそ長いものの、私には滅多に見せてくれなかった姿であることは間違いない。
自然に頬が緩んでいく。嬉しくて。愛おしくて。
胸の動悸も徐々に治まっていく中、とろんとした眠気が瞼を落としていく。
たまにはこんなのもいいよね、お兄ちゃん。
安らげる匂いのする胸元に頬ずりし、私の意識は再び眠りの淵に誘われていった。
**********
ふわりと鼻先を掠める可愛い香りと、白い太陽の光に覚醒を促される。
今日はいつもより、何だかあったかい。
ぼんやりとした目のピントが合わさり、真っ先に捉えたのは、シャンプーの残り香が心地いい亜麻色の髪。
首をもたげ視線を下にやると、すぴすぴ寝息を立てる僕の愛しいひとがいた。
僕の、腕の中に。
「え、と……。ゆめ?」
頬を抓ろうにも、左手は彼女の頭の下。
彼女を抱いている右腕を離してしまうなんて、もったいなくてできる訳がない。
その瞬間夢が醒めてしまったらどうしよう。
恐る恐る唇を噛み締めてみる。痛い。夢、じゃない?
めーちゃんは手を繋いで寝てくれることはたまにあっても、布団の中でべたべたするのはあまり好きではないみたいだった。
何より僕がこんなこと……恥ずかしくてできる訳がないのに。
それなのに、僕の腕はめーちゃんをしっかり捕まえたままで、めーちゃんは僕のシャツを華奢な指できゅっと掴んで、僕の心臓におでこをくっつけて、穏やかな寝顔を見せている。
……もう一度、今度はシャツの上から肩口に噛み付いてみる。痛い。夢、じゃない。
「一体何が……!?」
やましいことなんてないはずなのに、心臓がばくばく音を立て始める。
落ち着け落ち着け。不安になる必要は、多分ない。
じゃあなんで、こんなに胸がざわざわするんだろう。
考えろ。考えるんだ。はい、深呼吸。
……。 …。 ………? …………!!
間違いない。これは、きっと「事故」だ!
それも極めておいしい部類の。
顔がかぁっと火照るのを自覚する。
どうしようどうしよう。幸せすぎる。
こんなに可愛くて柔らかくていい匂いがする女の子が、(しかも僕のとびっきり好きなひとが)僕に身も心も預けて熟睡しているのだ。
なんせ密着具合が半端じゃない。
僕の腕が引き寄せているせいもあるけど、息苦しくないのかと心配してしまうくらいめーちゃんの顔は近くて、胸とお腹と全部僕にくっついてるし、柔らかい太ももは僕の足を挟みこんで……
「あ……」
そこまで把握したところで、はっと我に返る。
情けない。男というのは単純な生き物だ。
もっと幸せをじっくり味わいたかったけど、理性がビープ音とともに警鐘を鳴らしてくるので、泣く泣く断念。
めーちゃんを起こさないように細心の注意を払って、布団を抜け出す。
最近仕事が立て込んでいて疲れが溜まっているのだろう。
無防備に眠るめーちゃんが、いやに幼く見える。
まるでミクやリンたちと変わらない年頃の少女のようだ。
妹がもう一人増えたらこんな感じなのかなと思いついたけど、慌てて想像を振り払った。
めーちゃんが妹だったら、あんなこともこんなこともできなくなってしまう。
でも――
彼女の前髪をそっとかき上げ、額にキスを一つ。
「今だけは妹でもいいかも、ね」
伸びをしながらキッチンへ向かう。
コーヒーを淹れて、たまには僕が朝食をつくろうか。
今日はいいことがありそうな気がする。
うん、絶対いい日になるな。
END
一般的な認識に反して、私はあまりKAITO=兄さんの呼称を使ったことがないなぁと思いつき、
それはきっとカイメイありきで見てる=どっちかというと弟じゃね?という結論に達しました。