ヤンデレ注意。後味悪いの注意。


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めーちゃんはかわいい。
名前を呼んだときに振り向く仕草がかわいい。
ちょっと背伸び気味に僕の頭を撫でてくれる笑顔がかわいい。
どうしたの、泣かないで、とおでこをくっつけてくれる仕草も、カイトはいい子ね、とほころぶ口元も、
私が守ってあげるわ、と僕を抱き寄せる華奢な腕も全部全部、かわいいなんて言葉じゃ言い表せないほど愛しい。

それに比べて僕はめーちゃんに見合うだけの存在なのだろうか。


答えはおそらくノーだ。僕は勘違いしてしまった。
この世界は僕とめーちゃんのためにあって、めーちゃんは僕だけを見ていてくれて、
そしてその幸せはずっとずっと続くのだろうと。
本当に愚かだ。しかし何よりも、その愚かさを正面から受け止めて許容し、正当化しようとしている僕自身こそが
救いようもない痴れ者なのだろう。
僕は勘違いをしてしまった。
だけど僕はその勘違いを真実にしようと捻じ曲げ、ちっぽけな世界を自分の都合のいいように展開しようとしている。
そう、これはまさに確信犯。


【愛されるということ、応えるということ(誤)】


静まり返った夜更けの部屋で、融け合うほどに近い距離で彼女を感じる。
とろけそうな笑顔で僕の髪に指を差し入れ、口づけをねだるメイコは、
愛する女性を慈しむことのできる物腰柔らかな年下の男を信頼して、身も心も委ねることに抵抗がない。


僕の真っ黒な心の内も知らずに。


僕の傾倒するMEIKOはKAITOに対して絶対的な包容力で接してきた。
個人的な領域に踏み込みすぎることもなく、浮かない顔色を見過ごすことも決してない。
常に僕を気遣い励まし、寄り添ってくれた。
やれプロデューサーに怒鳴られただの、誰もみんな消えてく夢をみただの、
どんな些細なことでも僕はメイコに報告し、部屋を訪れた。
そのすべてのことに彼女は僕の目を見ながら、うんうんと頷き、馬鹿にしたりなんてしなかった。
じゃあ私と一緒に鼻歌を歌いながらお菓子でも作りましょうとか、カフェオレを飲みながら朝まで映画を見ましょうとか、
突飛な発想で僕の心の負担を取り除いてくれる。
僕が望めばいつまででも手を握って、いい匂いのする胸元に頭を抱き寄せて、心臓の音を聞かせてくれて、
眠るまで子守唄を歌って傍にいてくれた。


「――ねえ、教えて」
「ん。どうしたの?」

薄桃色に染まった柔肌をじかに味わいながら、汗ばんだ頬にそっと指を這わせ髪をはらった。
彼女に手を上げたり威圧的な態度をとったことなど一度もない。
僕は彼女によって庇護される存在であり、その愛情を受けて温厚な性格に育ち、
その恩を返すかのごとく彼女を抱きしめる術を手に入れるまでに成長した。
そこに一つも偽りなんてない。
そう思っていた。
そう思わせている。


―――誰に?

どこで間違ったのだろう。めーちゃん。
あなたの目の前にいる可愛い後輩はいつの間にか、あなたさえいれば何もいらないと願ってしまうような、
歪んだ独占欲を持つ醜いオトナに成長してしまったんだよ。

「……めーちゃんの一番は、僕?」
「いちばん…?」

彼女に一番近い存在に、彼女の一番好きな存在になりたかった。
業界に小さな革命を巻き起こしたメイコ。
待ち望まれ祝福され生まれてきて、彼女を知るもの誰からも愛される存在となった。
メイコはみんなの歌姫であり、片思いの相手足りえた。
一年以上遅れて後を追いかけてきた僕のことなんて誰も見向きもしなかった。
それでも、みんなの輪の中心にいたはずの彼女は、僕を見つけると優しく微笑んで駆け寄ってきてくれたのだ。

嬉しいわ、あなたが来るのをずっと待っていたの。
その言葉に耳を疑った。緻密に設計されたはずの脳が導き出した現状判断を信じられなかった。
僕の手を取り歩き出したメイコに着いて行った先は、彼女のプライベートな空間と誰も介入できない時間。
そこで彼女との生活が始まった。


「僕のことが一番だって言って。一番じゃなきゃ、嫌だ」
余裕ぶって見せた笑みは多分強張っている。仄暗い部屋の照明に祈った。どうか隠し通せますように、と。

僕が彼女に惹かれて行くのは当然のことだった。きっと天にだって変えられない当たり前の流れだった。
毎日仕事に出かけていく彼女は、家にいる間はずっと僕の相手をしてくれていたけど、
彼女に会えない時間の苦しさと、暇つぶしのもどかしさが、この想いに拍車をかけた。
評価されない努力、代わり映えのしない毎日。僕が知る世界は狭い借家の中とそこに咲く赤い花だけ。
生まれ育ったラボのことなど、とうに思い出せなくなっていた。
食べて寝て暇を潰してメイコにまとわり付いて、気まぐれに歌を歌い、すぐに彼女の隣に駆け戻る。
歌う時間は日に日に短くなり、代わりにメイコの時間が許す限り彼女に触れ続けた。
みんなのアイドルたるメイコと身を重ねている間。
彼女を取り巻くユーザーやファンに対しての嘲りの気持ちが、僕の屑のようなプライドと優越感を満たした。
ざまあみろ。めーちゃんは今僕だけのものだ。美しい彼女を独り占めできるのは僕だけだ。


それを初めて自覚したときは一晩中悩み抜いた挙句、僕のウタウタイとしての生命を終わらせることを決めた。
簡単なことだ。ボーカロイドとしての機能を司る精密な端子の部分に傷を付けて、二度と直せなくしてしまえばいい。
調子が悪くなったからラボに帰ると言って別れれば、二度と彼女の前に姿を現せなくても不自然ではない。
自死を選ぶよりは彼女の精神的負担も減るだろう。

ところが。
決断に時間をかけすぎた。
おはよう、と朝顔の笑みを浮かべたメイコは僕の部屋に入ってくるなり、早起きをしていた(ように見えた)僕を褒め、
せっかく天気がいいのだからと散歩に連れ出した。
道すがら朗らかな声で歌うメイコと、早朝の世界の美しさに、完膚無きまでにやられた。
メイコの声に自分の声を重ねてハーモニーを紡ぎ出す快感と、
朝一番のデュエットは爽やかで素敵だわ、と目を輝かせるメイコに、この暮らしへの未練が芽生えてしまったのだ。
臆病で狡猾で、我慢ができない僕は、身を引くという選択肢をあっさり捨てた。
あの朝メイコが部屋に入ってくる直前、咄嗟にベッドの下に投げ捨てたカッターナイフは、
今も同じ場所で埃を被っているはずだ。
生きてやる、と決意した。
僕の生にはメイコが絶対に必要であるという事実も丸ごと含めて。

僕は彼女を物として見ていたのかもしれない。自分の独占欲を満たすためだけの所有物として。
歪んでいる。病んでいる。自分の醜さに気が狂いそうだった。
明らかにまともな判断ではないことが分かっていてもなお気持ちが良くなることが一層おぞましかった。
だがじきにその考えが間違いだったと知る。
僕は形ある物としての彼女だけではなく、最終的にメイコの心が欲しかったのだ。
それは彼女を自分の欲の対象として見ることより酷いことだというのは重々理解している。
彼女のすべてが欲しいと願っているのだから。


「い、ちばんが何なのか…よく分からないけど……」
メイコの目が柔らかく細められ、彼女の首もとについた僕の肘に滑らせた指先が上り、むき出しの肩を撫でた。


「私の頭の中を一番多く占めてるのはあなた。今日もカイトは元気かしら、悩んでいないかしら、
 笑ってくれるかしらって。いつも一緒にいるんだもの。ずっと仲良く楽しく過ごしていきたい相手なんだもの。
 一日のうちであんたのこと考えてる時間が一番長いけど、それじゃだめ?」


「……っ!!」

かぁっと身体の中心が熱くなり、落胆が胸をじりじりと焦がした。そうじゃないと叫びたかった。
僕と彼女の認識が食い違っているとは思いたくなかったのに。
これだけ不安に思っていても、言葉にしてほしいと煩悶していても、
心の奥底ではメイコも僕のことを好いてくれていることを望んでいた。確信していたのに。
おかしい。こんなはずじゃない。こんなに近くにいるのに、先輩後輩や擬似姉弟の境界はとっくに越えているのに。
夢中になって溺れていたのは僕だけで、彼女にとってはただの同胞でしかなかったのか。

……いいや違う。メイコの性格からして、その気持ちに嘘はない。
僕のことを他のひとより贔屓目に見ていることはきっと事実だ。
でもその捉え方は僕よりずっと穏やかで、そして穢れのないものだったのだ。


「…カイト? 私いけないこと言ったかしら……?」
少し蔭った表情を浮かべ、心配そうな手つきでメイコは僕の目尻に指を沿わせる。
するっと水滴がその指を伝い、彼女の鎖骨に雫を散らした。

「う、ううん、何でもない。ちょっと嬉しくてさ」


彼女の考えを変えるということは、今まで通りの日々が壊れる可能性をも示唆していた。
もう無邪気に僕に微笑んでくれないかもしれない。僕のどろどろした本能的な部分を知ったが最後、
触れられることに嫌悪を感じてしまうかもしれない。

それでも。

それでも言って欲しかった。言葉で聞いて確かめたかった。
ねえ、僕のこと愛してるって言って、何よりも誰よりも一番好きだと言って、僕以外の世界なんて見ないで。

僕はめーちゃんのことが好きで好きでたまらなくて、僕の世界はめーちゃんが中心で、
めーちゃん以外のものなんて何もいらなくて。
どこにも行かせたくない、誰にも会わせたくない。いつも僕だけのそばにいて、僕だけを見て僕だけのために歌って。
いつも僕を欲して、僕がいないと生きていけなくしてやりたい。
離れたら死んでしまうんだから、ずっとくっついている方法を考えなければ。
めーちゃんが欲しい。めーちゃんのすべてが欲しい。

だけど、僕にそんな求心力があるのか。ああ、それは自明の理だ。
だから違う。正しくは、どんな汚い手を使えば彼女を完全に手中に収められるのか、だ。


僕の涙を拭った彼女の手を握り、その小さな身体をぎゅっとかき抱いた。
背骨がしなり、一瞬息を詰まらせたメイコはしかし、僕の背に手を伸ばし、ぽんぽんと宥めるように叩いた。
どうしたの、随分甘えちゃって。柔らかく耳朶を打つ声を間近に聴き、また一粒涙が零れた。

自分の物差しで計れないこの人の気持ちが、読み取れないことが怖い。
そして何より僕自身が何を考えているのか、これからどうしたいのかを事細かに想像するとぞっとする。

黒くもやもやと燻っている感情は、じきに青い炎を上げ孕んで静かに燃え上がり、
いずれ彼女を真っ直ぐに貫くことになるだろう。
その時のことを考えると、言いようもない感情が胸の内側を食い荒らす。


「めーちゃん、僕は――、めーちゃんが好きです」
「私もよ。私もカイトのこと好き」

いつも通りに甘えて媚びて、牙を隠した告白に、メイコは満足げに、幸せそうに応えた。
心音と一緒に黒い感情も伝わっていなくてよかった。
まだ知られてはいけない。前兆を悟られてはいけない。
一気に攻め立て落とさねば何の意味もなくなってしまうのだから。


さあぁぁ、と細やかな音がし、知らぬ間に雨が窓をたたき出したことに気が付く。


夜は明けない。
夜が、明けない。




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