呼び鈴の音に玄関のドアを開けると、そこには懐かしい顔ぶれと、もう一人。
ボーカロイド開発局の研究スタッフたちに背中を押されて彼が私の前に現れたのは、2月の寒い日のこと。
冬を体言したかのような白いコートに水色のマフラー。
くすんだ暗い青の髪に、深い海の色の瞳。
春の日差しのようにはにかみながら、長身を屈めてぴょこんとお辞儀をする。
「初めまして。CRV1・MEIKO。僕は、CRV2・KAITOです。今日から、あなたの、家族になります」
穏やかな声だった。得意分野が童謡だと事前に聞かされていたが、なるほど納得できる。
「初めまして、KAITO。よろしく頼むわね」

私の言葉の何が琴線に触れたのだろうか。彼は子どもじみた仕草で、 ぱぁっと顔を明るくして、うんうんと大きく頷いた。
私が研究スタッフと今後のことを打ち合わせしている間、彼はきょろきょろと部屋を見回したり、私の一挙一動を一心不乱に目で追ったりと、不思議な動作を繰り返していた。
上手くやっていけるのかといささか不安に駆られたものだが、スタッフたちを見送った後、最初に口を開いたのは彼の方だった。

「よかった」
「…?何が」
「僕は、CRV1・MEIKOの声を、初めて、自分の耳で、聞きました。
 綺麗な声。僕の、好きな声で、嬉しいです!」
ぎこちない言葉遣いでも、本心からの言葉であることは、彼の声の弾み方と表情で容易に察することができた。
そんなに褒められることかしら、と面食らったものだけど、悪い気はしない。
「ありがと。カップを片付けるから少し待ってて。終わったら部屋を案内するわ」
スタッフと彼に出した紅茶のカップをトレイに載せて席を立つ。

重なる心音

私の元に開発局から連絡が来たのは数日前のこと。
後継のボーカロイドを同居させたいと電話口で聞かされた。
先達の私と新開発されたCRV2同士で切磋琢磨して、社会のことを学ばせたり、互いの情緒の発達を促進させる目的らしい。
私と同じ時期に世に出たMEIKOの中には、仕事の契約をこなすうちに専属のマスターができ、同居しているケースも少なくない。
マスターと暮らしていないMEIKOを対象としたこの試みの中の一人に、私が選ばれたようだ。
開発元の会社から提供されているこの家屋は、一人で住むには充分すぎるほど広く、空き部屋もあった。
最初からこんな目的があったのだろうか、と思いつつも、ここ数日は新しい同居人を迎え入れる準備に明け暮れていたところだった。

「CRV1・MEIKO、僕も、手伝います」
キッチンへ向かう私の後を、声が追いかけてくる。振り返ると、両手を差し出して微笑む彼の姿があった。
こうして近くで見ると、思った以上に目線が上を向いてしまうのか、と新しい発見をしつつ、流しにトレイを下ろす。
「ありがとう大丈夫。…それより、私のことはもっと短く呼んでいいのよ」
スポンジを手に取り、洗剤をつけ、カップを洗っていく。
「短く、ですか?」
「そう。MEIKOでも、メイコでも、あんたの好きな呼び方でも自由に。私はあんたのこと“カイト”って呼ばせてもらうわ」
そう言うとカイトは首を傾げて、すきなよびかた、と呟いた。
聞きなれない言葉を反芻するのは初期にありがちな行動パターンだ。
ヒントを出してあげようかと思うのと同時に、変なところに食いつくなぁと心の中で苦笑する。
「シーア……MEIKO、は、可愛いから」
「は?」
「可愛い、愛称が、いいと、思います」
うっかり泡だらけのコップを取り落とすところだった。
かわいい?なにが?だれが?……わたしのこと?

「MEIKO、MEIこ、メいコ、めい…」
私の名前らしきものを呟いていたカイトは、あ、と顔を輝かせた。
「めい、ちゃん。…めーちゃん。めーちゃん、が、いいです」
動揺している私に気付いていないのか、彼は満面の笑みで私に問う。
「めーちゃん、って、呼んでいいですか?」
「うん…」
断れない雰囲気に頷くしかない流れだったが、嬉しそうに、めーちゃん、めーちゃんと口にするカイトを見ていると、何だか胸の奥が暖かくなってくる心地がした。

私が世に送り出されたときは、この家で、初めの一週間だけ
スタッフの一人が一緒に寝泊りしてくれてその間に社会生活の基本的なことを教わった。
後は研究所にいた時にレクチャーされた知識を応用しながら、テレビや本を読んで、言葉を、仕草を、人との接し方を勉強してきた。
今度は私がそれをこの子に伝えていく番なのだろうけど、私の方が先に新しい感情を教えてもらったのかもしれない。
人間の家族のあたたかさとは、擬似的に体験するときっとこんな感じだろうか。


**
「ここがあなたの部屋。今は何もないけど、研究所とは違うのだから、経済的な余裕の許容範囲内なら、好きなものを置いていいのよ」
自室になる予定の部屋に足を踏み入れたカイトは、私の言葉に頷くと、持ってきた荷物をベッドの上に並べる。
当座必要最低限の生活用品は支給されているようだ。
「めーちゃんは、ここで、暮らさないのですか?」
「暮らす…?ああ、私の部屋は隣だけど」
「どうしてですか?」
「うーん。部屋が余ってたからかな」
二人同室という選択肢は考えもしなかった。改めて見回しても、二人部屋になるほど広い部屋ではないし。
第一人間ではないといえども私たちは一応成人型の男女だ。
「はい。分かりました」
特に質問もせず、カイトは荷物を広げ整理し始めた。
気になっていたことを指摘しようと逆に私の方が話しかける。
「ねえ、その言葉遣いは直さない?家族なんだし、気楽にやりましょうよ」

私は雇い主であるマスター以外と話す機会はほとんどなかった。
そのため、メンテナンスで開発局に顔を出したときに研究スタッフから、くだけた言葉遣いも学んで使うように、と指摘されてしまった。
歌詞の中で使う言葉も、現実の会話で使う機会は少なく、自然に口から出るようになったのは極最近のことだ。
せっかくの機会なのだから、彼には早いうちから慣れてもらいたい。

「はい…うん。僕も、そう思います…思うよ」
「あら、やればできるじゃない」
「でも、やっぱり難しいよ、です。…あ」
なかなかスムーズに喋れないカイトに、思わず吹き出してしまう。
「めーちゃん、笑わないで、よ!」

不満げに頬を膨らます後輩は、プロトタイプである私より、デフォルトの感情表現を豊かに作ってあるようだ。
会ってすぐに嬉しそうな表情をたくさん見せてくれたので、それはなんとなく理解していたつもりだったが、 喜怒哀楽の“怒”と“哀”の混じった高度な表情が作れるなんて、上出来だ。
「ごめんごめん、私のときなんかより、ずっと上手よ。これから段々慣れていけばいいわ」


***
夜。入浴を終えたカイトにおやすみの挨拶をしてから、私はリビングで明日の仕事で使う譜読みを始める。
頭の中で音符を流し、躍らせ跳ねさせていると、夕方カイトと声を合わせたことを思い出す。

何か歌ってみせて、と促すと、彼は少し恥ずかしそうにしながらも、自分の持ち歌を立派に歌い上げてみせた。
その中に私も知っている曲が一つ。最後のサビをハミングでなぞると、彼の歌声がぴたりと止んでしまった。
「ごめん、邪魔しちゃったね」
「ううん。違う。お願い!最初から、もう一度歌うから、合わせて!」

隣に座っていたカイトはソファから立ち上がり、大きく息を吸う。
その歌声の上を柔らかく覆うように、私は音を重ねた。
滑らかにかみ合う呼吸と、広がる和音。時に追いかけ合い、時に帳尻を綺麗に消化し、絡み合い溶け合う二つの声。
歌を生み出している間の私たちは、個々の存在ではなく、ひとつの楽器だった。
どんな人間のコーラスを務めても、これほどまでの充足感を得られたことは今までに無かった。
うっとりと目を閉じたまま最後の音を紡ぎ出すと、程なくして腰掛けているソファの左側がぐっと沈み込み、同時に私の手に何か温かいものが触れる。
視線を移すと、距離を縮めた彼の大きな右手が私の左手に乗せられていて、めーちゃん!という声とともに、その手をぎゅっと掴まれた。
「すごい、すごいよ!こんなに綺麗に合わさるなんて!」
彼の瞳はらんらんと煌めき、私はこのまま食べられてしまうのではないかと錯覚してしまうくらいだった。
「僕は、めーちゃんのいる家に来られて、本当によかった!」
カイトは勢いよく立ち上がると、テーブルの上のミネラルウォーターをぐっとあおる。
CRV02はCRV01の歌声に合わせるために造られた存在だなんて、言える訳がなかった。
私自身、目の前のこのカイト以外の02とこんなに息が合うなんて想像できない。
きっと彼は来るべくしてここに来たんだと、そう信じるほかなかった。

私の初めての曲の楽譜を掘り出してくると、彼はそれに飛びつき、貪るように音符を吸収し始めた。
歌えそうだよ、というゴーサインを待って、私は静かに最初の音を唇から零す。
たどたどしく追い始めた彼は、私の声を8音下で再現し、サビに入る頃には安定した声色で、私を支えだした。
もう何度も何度も歌った曲なのに、初めて歌ったあの初々しさが戻ってくる気さえする。
即興で高音を震わせ転がすと、譜面に忠実な彼の旋律がリズムの中核を担う。
揺るぎ無いピアノの伴奏のような彼の声の上で、私は軽やかに泳ぎ、好き勝手に飛び跳ねる。
歌い終わって開口一番にカイトが言ったのは、めーちゃんいいなぁ、だった。
「僕も、アドリブで、自由に歌えるように、なりたい」
「これも慣れよ。時間をかければ自由に操れるようになるわ」
口を尖らせるカイトに、先輩風を吹かせながら、私は初めての感情のオンパレードに身を委ねた。
次の曲を口ずさみ始めると、一瞬で表情を切り替えたカイトは、私を追いかけようと楽譜を目と指先で追いながら、音を紡ぎ出す。
二人だけの音楽会は、空腹のぐうの音でお開きになるまで、穏やかに、賑やかに続けられた。


****
ことり、という音にはっとして振り返る。リビングの入り口には寝巻き姿のカイトが佇んでいた。
「カイト?」
「……めー、ちゃん。僕は、寂しい…です」
昼間、表情豊かに笑い、生き生きとした歌声を響かせていたボーカロイドはそこにはおらず、肩を落とし、睫毛を伏せた大きな子どもがいるばかりだった。
「さびしい…?」
楽譜をテーブルの上に置き、ひとまず彼に歩み寄る。ぱたぱたとスリッパの鳴る音が冷え切った部屋に響いた。
「どうして? 研究所にいた頃だって一人だったんでしょ?」
「そう、だけど…スタッフさんたちがいて、遠くなくて、近くなくて…」
「ええと…」

研究所でテストや訓練を受けていた頃の記憶を引っ張り出す。
日中はたくさんの実験に立ち合い、結果をモニターされ、不定期なスケジュールを淡々とこなし、夜は割り当てられた自室でスリープモードに入り休息を取っていた。
開発スタッフの人たちはみんな優しくて、楽しく話していたけど…名前も顔も多すぎて思い出せない。
唯一覚えてるのが――。

「あ、そうか…」

私と一週間寝食をともにしてくれた女性スタッフ。
女同士ということもあり気心も知れ、毎晩隣に布団を敷いて眠っていた。
彼女が私の元を去ってから、しばらくは喪失感にさいなまれた。つまりホームシックのようなものだ。
今のカイトの状態はそれに近いのかもしれない。
大勢の付かず離れずの人の群れから離れ、次は一人の存在と近しい関係になるけれど、すぐに独りきりになってしまう。
楽しい時間が過ぎた後の孤独さは、余計に実感が伴うものだ。

「…分かった。眠るまで私が傍にいてあげるから安心しなさい」
「ごめんなさい…」
謝らなくてもいいのに、と俯いたままの長い前髪を手で梳いてやる。
頬に触れた手に温かい水が付着した。まさか、泣いてる…?
顔を覗き込むと、ぎゅっと噛み締められた唇が震えて、また涙が一筋頬を伝う。

情けない、とでも一笑してやれば、荒療治になったかもしれないけれど、私にはどうしてもできなかった。
一人で生きていく孤独さに絶望した、あの日の私が目の前にいた。
「ほら、廊下は寒いんだから、早く行こ?」
明るく言ったつもりだったけど、少し不自然だったかもしれない。
それでもカイトはこくりと頷き、素直に踵を返す。

ベッドに上がらせて座ったまま腰まで布団を被せると、私もベッドに腰掛ける。
「…ごめんね」
髪を撫でてやると、カイトはきまり悪そうに苦笑した。
「最初は誰だって寂しいわ。落ち着くまでの辛抱だから、今は慣れることに集中しとけばいいのよ」
「めーちゃん、もうちょっと近くに来て?」
伸ばした手を引かれ、少しの逡巡のあと、結局スリッパを脱ぎ、カイトの隣に座り込む。
今日一日で随分距離が縮まったものだ。最初は手に触れられて、私から髪に触って。
「疲れたでしょ?そろそろ眠たくなってくる頃だと思うけど」
静かな声で問うと、一拍の間を置いてぽつりと返事が返ってくる。
「眠ったら、めーちゃんは、いなくなる?」
「いなくならないわ。私は隣の部屋で寝てるから。冷えるから布団ちゃんと被って」

身体を横たえさせようとした手を掴まれた。
ぐいっと胸元に抱き寄せられ、一緒に横に倒れこむ。
「な…?」
「…ぃ。…ねがい。お願いお願い。行かないで。ここにいて」
何が起こったのか理解できなくて混乱している私に、カイトは尚も懇願し続ける。
「何でか、分からないけど、めーちゃんが、いないと、だめ。
 お願い、他に迷惑は、かけないから。歌も、ちゃんと歌えるよう、頑張るから」

だから一緒にいて。
なんてめちゃくちゃな言い分。
彼は本当に適応試験をパスして世に出てきている個体なのだろうか。
開発スタッフに事前に重要項として言われていたことを思い出す。
曰く、性格・情緒に致命的な問題が見受けられ、ボーカロイドとしての役目を果たすことが 困難だと判断した場合は、すぐに開発元に報告すること。
もちろん最終的な判断を下すのは人間である本部の開発者たちであるが、 疑惑の種は早期発見に越したことはないということだろう。

耳元で心音が爆発しそうな速度で鳴り響いている。
これは私の?それともカイトの?
「それ」に気付いて私は叫びそうになる。

“同じ”だ。

私の、彼の、同じ速度で、重なる、心音。同じ速さで、体中を巡る、人工血液。
回路にパシンと電流が流れ、脳裏に音が流れ出す。
一緒に歌った、彼の初めての歌と、私の初めての歌。二人で歌った、ハジメテノウタ。

「……あんたは欠陥なんかじゃ、ないわ」
お願いお願い、と繰り返すカイトをゆっくりと抱きしめ返す。
冷たい肩と、震えながらも吐き出される熱い息。
その背中をゆっくり撫でさする。
私は、信じる。――信じたい。心の中で念じながら、カイトの耳元に呼びかける。
「カイト、大丈夫。私はここにいる。朝までいるから、約束よ」
「……本当に?」
頭の上から囁くように小さな声が聞こえた。
「本当」
「明日も、いてくれる?」
「明日も明後日も一緒よ」
「あしたも、あさっても……」
嘘のように呼吸も心音も安静に向かっていくのが、手に、身体に、触れ合っている部分にダイレクトに伝わってくる。
私を閉じ込めていた腕の力も抜けていくのが分かった。
眠りの縁を彷徨う彼を刺激しないように、素早く布団を引っ張り上げ、大人しく気配を消しておく。
「……めーちゃん、すき…」
そんな言葉を最後に、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきたのは数分後だったか数十分後だったか。
ようやく、このおかしな状況に気付き、私の心音だけが上昇していく。
すき? 好き? 好き!?
好き、だなんて、私もまだよく分からない感情なのに。
でもきっとこの厄介な後続ボーカロイドと一緒にいるのは嫌いじゃない、と思う。
これが“好き”なのかどうかは分からないけど。


*****
「ね、覚えてる?」
「なにー?」

3杯目の日本酒をグラスに注ぎながら、カイトは能天気に返してくる。

「あんたがうちに来た日のこと」
「う…。思い出は綺麗なものだけ留めとこうよ」
「全部乗り越えてこそ今があるんじゃない」
「そりゃそうだけどさ…」

カイトの暗黒期がきて、そのうち恋人同士の関係になって、マスター家に同居時期があったり、色々あって一度メモリ以外パーツ総入れ替えしたり、 地道な営業周りで一軒家を購入したり、ミクがきて、リンとレンがきて、最近神威さんがきて…。
これがわずか3年以内の出来事だと言うから驚きだ。

「でもね、……運命だと思った」
「何が?」
「めーちゃんに会えたこと。あのときの僕はまだ子どもみたいなものだったけど、すぐに分かった。僕はこの人を好きになるって確信できた」
「な、まさか、あれは寝言じゃなかったの?」
「覚えてるよー。それと、めーちゃんが“約束”通り、4日目からは一緒に寝てくれなくなったから寂しかったなー」
「あんたの方こそ思い出は綺麗なものだけ残しときなさいよ…」
恨みがましく上目遣いで見上げてくるカイトの執念深さに、がっくりと肩を落とす。

けれど、何だかんだ言って、私もカイトも、互いに互いのことを気に入っているのは事実。

それはあの日、まだ何も知らなかった私たちが、声を重ね、心音を重ねたときから、きっと決まっていたのだ。
どこかで確信していたのだ。
ずっと隣に居られる存在を見つけたことを。


END



ずっと書きたかったお話です。
私のボカロ考では、MEIKOやKAITO(やボカロたち)はたくさんいて、異なる環境にいるから個性もそれぞれあると思っています。
そんなmy設定満載の二人が出会ったときの話を妄想。
初めて外に出たということでカイトが幼すぎる気もしますが、いつものことでした……。

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