「ただいまー。あーあったかー。もーこんな遅くなるなんて聞いてないよマスター。リテイクなら明日でもいいのに、あ、そっか明日は夜勤とか言ってたな。しょうがない。ブラックモンブランもらえたしいっか。めーちゃん。めーちゃーん! お腹すいたー。今日のご飯なんだったのー?」

「今日はリゾットだったけど…。ミクたちはもう寝てるんだから、もう少し静かに帰ってきなさいね」

玄関からリビングまでのそこ数歩でどれだけ喋るのかと呆れながら、キッチンから顔を出す。
リビングで繰り広げられていたのは、気分がげっそりするようなストリップ。(主に景観の美しさを損なう意味で)。

「カイト……何回言えば分かるのかしら。コートやマフラーをその辺に脱ぎ捨てないの。部屋で着替えてきなさい!」
「えーだってー」

口を尖らせて反抗する顔はレンよりも幼く見える。これのどこが二十代なのだ。まったくもって中身が伴っていないではないか。
ああもうだらしない……って、靴下をそこで脱・が・な・い!!

「ね、ご飯食べてからでいいでしょ? 二階寒いからさー。先に温かいリゾット食べてからがいいなー」

カイトは鞄をソファの上に放り投げて、一応我が侭の自覚があるのか、散らかした衣服をまとめてソファの背に引っ掛ける。
どうせ料理を温め直すには時間が要るし、その間に片付けてくればいいのに、と思いつつも、これでは年頃のリンやレンに示しがつかないなと思わずため息が出る。
当の本人はいつものようにへらへらと笑いながら、キッチンの匂いに引き寄せられ、こっちを覗き込んでくるばかりで。

これは少しお仕置きが必要だわ。
とは言っても、夕飯抜きはさすがに可哀想だし……。
そうだ。少しいじめてあげますか。


撫でたいおなか


「わ!わ! めーちゃんどうしたの?」
鍋を覗き込むカイトの横を素通りし、背後からぎゅうっと抱きついてみる。
戸惑いつつも嬉しそうな声。笑ってられるのも今のうちよ。
風呂上りの私と、夜更けの風に当たりながら歩いて帰ってきた彼との間には、服の上からでも分かる温度差が感じられた。
カイトの手が私に回る前に、シャツの裾を引っ張り出す。

「ひゃっ!!? な、何すんのさ!!」

ズボンと下着の隙間にするりと潜り込んだ私の指先に、情けない悲鳴が上がるが、かまわずにくっきりと浮き出た腰骨を撫で回してやった。
ごつごつとした手ごたえに改めて異性を認識する。この子アイスばっかり食べてるのに太らないなんて絶対おかしいわ。

「ちょっと! めーちゃ…めいこさん、止めてくんない?」
「あら、何を?」

平静を装っても語尾が震えてるじゃない。
固まったまま動けないくせに、心臓だけがばくばくと駆け足を始めているのが、背中に当てた耳と、胸と、お腹に伝わってくる。
これは見えないけれど、頬どころか顔中真っ赤になっているに違いない。だってほら、髪の間に見える耳が熱そうな色してるもの。

「もしかしてー、カイトくんはここが弱いのー?」
「ち、違うよっ!!」

出っ張った骨を掌で包み込み、ぐりぐりとさすってやると、可哀想なくらい上ずった声で抗議してきた。
シャツの中に潜ませた、もう片方の手でつう、と腹筋をなぞってやると今にも泣き出しそうな、めーちゃん!という悲痛な叫びがあがる。
楽しい。これは非常に楽しい。いつも散々翻弄されてきた私にやっと訪れた反撃のチャンスではないか。

夢中になってあちこち撫でたりつまんだり押さえてみたり、その度に頭上から聞こえる制止の泣き声すらも、私の暴走に拍車をかけるばかりだった。
本当に嫌なら力づくで止めてみせなさいよ、と痴漢張りのことを考えていたせいで、前触れもなく掴まれた手首の冷たさに、不覚にも悲鳴を上げてしまう。

私の右手首を捕まえたカイトに、ぐるりと身体を引き剥がされ、正面から向かい合う形となった。
「めーちゃん」
「ええと……」
涙目でキッ、と私を睨み下ろすカイトの頬はそれはそれは血色がよく……。まずい。ちょっとやりすぎたかしら。

「せ、セクハラは、よくないと思う」
「なによぅ……。あんたが片付けないのが悪いんだからね」

しばしの睨み合いが続いた末、ふう、とため息をつき、先に目を伏せたのはカイトの方だった。

「分かった。僕が悪かったよ。子どもたちの保護者としての立場もあるし、だらしないところは直すようにする」
ふくれっ面ではあるが、素直に謝るカイトに、私の気持ちも少し穏やかになる。
「ちゃんとしてくれればいいのよ。…私も悪乗りし過ぎたわ……」
うん、と頷きつつも、カイトの表情はだんだん暗くなっていく。これは……男の威厳とかいうやつを蔑ろにしてしまった…かな。
すっかりしょげてしまった様子に、申し訳なさが募る。

「あの、ご、ごめん。冗談なんだから、そんなに落ち込まないでよ」
「めーちゃん……、ほんとにそう思ってる?」
俯いた顔で目線だけを合わせられる。私の方が背が低いのに上目遣いなんて卑怯だわ。
「反省してる。ごめんね。……ほら、お腹減ってるでしょ? ご飯温めるから」
離して、と言おうとしたのを遮るかのように、ぐいっと抱き寄せられ、息が詰まった。

「僕はね、けっこう傷付いたんだよ?」
「う…。ごめんなさいって言ってるじゃない」
「じゃあさ、誠意見せてよ誠意」

それなんてDQNの喝上げ?と、発言に疑問を抱いたときには遅かった。
背中に回された手が、指先が、ゆっくりと臀部や上着の裾に潜り込む。ひょっとしなくてもいやらしい手つき過ぎる。

「お返しー。めーちゃんが先に仕掛けてきたんだから責任とってよね」
「な、何の仕返しなのよ……」
ちょっとでも同情してしまった私が馬鹿だった。いや、馬鹿はこいつ。このバカイトが!
狭いキッチン故に暴れることもかなわず、かと言ってこのままいいように流されるにも腹が立つ。
かくなるうえは隙をついて逃れるしかない…か。

「ね、ミク、見てないで助けてちょうだい!」
その言葉にカイトの手がぴくっと止まった。よし、計画通り。
するりと腕から抜け出し、こつんと頭を小突いてやる。
「馬鹿。あんたも調子に乗りすぎよ」
反応はない。視線が合わない。というか私の方を向いていない。

「……」

恐る恐る奴の視線の先を振り返ると、事実は小説より奇なり。されど使い古されたお約束。

「お兄ちゃんのケダモノ……。サイテー」

ふいっと長い髪をなびかせ、とたとた階段を上っていく次女。
斜線を背負い、色彩を失って固まる長男。

幸か不幸か、私がおいたをするところはミクに見られてはいなかったらしい。

「……とりあえず、ご飯用意するから、部屋に荷物持って上がりなさいね」

ぎくしゃくと機械的な動きでコートや鞄をかき集めるカイトを尻目に、食器棚を開け、スープ皿とグラスをトレイに乗せる。
今更なのだ。こんなハプニングに慣れきっていることに、これまた驚きもせずに流せる自分を認識する長女。
日常とはかくも賑やかなもの也や。
ひとり言を鼻歌にシフトし、腹を空かせた男のために、私は鍋を傾けた。


END


めーちゃんは悪意なくカイトにセクハラを仕掛けてカイトをうずうずさせてたらいいと思います
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