若干痛い描写があるのでご注意を
いつもに増してカイトのダメ男度数半端ないです。
カイメイというより恋心の一歩手前のお話。

設定
・マスター有りで半実体有り
・カイトは中古流れの貰われっ子
・マスター家にスタジオがあり、VOCALOIDたちはレコーディング時に出てきます。



甘やかすのと慈しむのは似て非なる


「ねえ、最近あんたの後ろにくっついてる青いのは、弟か何か?」
収録を終えた後のスタジオで、水分補給をしながらの雑談の中。
今回の曲でツインボーカルの片割れを務めた彼女が、タオルを投げて寄越す。
「ええ、まあ…そんなところかしら」
片手で受け取ったタオルで汗を拭いながら、おとうと…ねえ、と呟いてみる。
今年に入って家にやってきた彼の世話係としては、やはり弟といった感覚に近いのだと思う。
あの異様な懐きぶりを考えると、むしろ子どものようなものかもしれないのだが。

「そう…。メイコ、大丈夫なの?さっき控え室の前通ったとき、ちらっと見たけど…ちょっとヤバいわよあの子」
形のいい眉を顰めて声量を落とす彼女の言葉に、一仕事終えた後の緩んだ空気がすっと冷え切っていくのを感じた。
「ヤバいって…なに?」
「めーちゃんめーちゃんってぶつぶつ呟きながら、うろうろしたり、爪噛んだり、ずっと無表情だし…」

ああやっぱり。ペットボトルのミネラルウォーターを一口流し込み、ため息をつく。
初めはなかなか心を開いてくれなかった彼は、一度気を許すと、おかしなほどべたべたくっついてきた。
私が出かけるたびに、一人でいるのが嫌だと駄々をこねる彼を、今日は控え室で待たせているのだ。
「それはね…」

「自分の手の甲に爪まで立てて……まったくどういう生活してるのあんたたち」

ゴトッと鈍い音がし、床に水が撒き散らされる。
それがいつ自分の手を離れたのか、私には考える余裕がなかった。

「ごめん、ミリアム。スタジオの戸締り頼むわ」
走り出した背に、憑り殺されんじゃないわよ!と訳の分からない言葉が被せられる。

今日の収録が終わった後、外食でもしに行こうと誘ったときの、彼の嬉しそうな顔。
すっかり油断していた。
彼はまた同じことを繰り返すのか。私は一体どう接するのが正解なのか。
今すぐには答えの出ない問いを頭から振り払い、勢いに任せ、控え室の扉を開く。


「カイトっ!」


**
「めーちゃん!」
私の足音を聞き取っていたのだろう。
ドアの前で待ち構えていたカイトの腕の中に、そのまま飛び込む形になる。
「離してっ!」
強い語気と、容赦なく突き飛ばす手加減のなさに、自分が怒りを覚えていることを初めて認識した。
何に対しての憤りなのかが分からないまま、僅かによろめく長身の青い瞳をキッと睨みつける。
私の気持ちを知ってか知らずか、はたまたその剣幕に押されたのか、少しの戸惑いを混じらせつつも、
カイトはめーちゃんお帰り、と嬉しそうに笑い、誇らしげに宣言する。

「めーちゃん、俺、ちゃんと我慢したよ。めーちゃんの用事が終わるまで ちゃんと大人しく待ってたよ。
 何も壊してないし、誰にも迷惑かけてないよ?」

「カイト、これ…」
青い爪の先の歪(いびつ)さに、ぎりっと歯軋りをしながら、白いコートの袖を肘まで捲り上げた。
手の甲にも、手首にも、前腕にまでも、赤い蚯蚓腫れがそこかしこに刻まれている。
ぽつぽつと散らばる鬱血の点は抓った痕だろう。
明日にはどす黒く染まってしまうそれは、前回の痣がようやく消えたばかりの白い腕にまた残り続けるのだ。
あちこち血の滲んだ痛々しい痕から目をそらし、指先をそっと撫でる。
噛み千切られたささくれが、己の指に刺さり鋭い痛みを伝えてくる、マニキュアが剥がれた無残な爪。

「あぁどうしよう…。ごめん…ごめんなさい。せっかく夕べめーちゃんが綺麗に塗ってくれた爪なのに…」
「違う…っ!そういうことじゃないの!」

夢から醒めたように謝ってくると思えば、何て的外れな。
分かっていないのだ。夕べ爪を塗ってもらった嬉しさを、自分の手で壊してしまったことにしか反応しない。
きっとそれで私が怒っていると思っているのだ。

「言ったでしょ?自分を傷つけるのは良くない事だって」
噛んで含めるように、目を見て訴えかける。
喉元の引っ掻き傷から染み出た赤が、青いマフラーに付着し黒ずんでいるのが視界の隅に入ってしまった。

何度同じことを説明すれば理解してくれるのだろうか。

初めてのマスターにろくに構ってもらえないまま手放されて、私や私のマスターにも打ち解けるのに長い時間を要したカイト。
今まで与えられなかった分の愛情を取り戻すかのように、私に全身で甘えてくるカイト。

ずっと耐えてきた独りきりの時間に戻るのを病的に恐がり、その恐怖を紛らわすために、
自分自身を痛めつけていることにはすぐに気がついた。
抱きしめて、宥めて、落ち着いた頃に諭すと、気恥ずかしそうに反省してくる姿も何度も見てきた。
最近はそんなこともだいぶ減ってきたと思っていたのに――。

「ごめんね、めーちゃん」
下がり眉の下で、コバルトブルーの瞳が細められる。
「でも…俺ばかだから、痛くしないと駄目なんだ。…こうでもしとかないと何かに当たっちゃうんだよ。ごめんね?」

分かって、やってたのか。
物に当たられたほうがどれだけましだか分からないのに。


何も言えなくなった私には、大きな子どもの髪を、頬を撫でてやることしかできなかった。
唐突にその手を掴まれ、腕の中に抱き込まれる。
「ねぇ、今夜は何食べよっか」
耳元で聞こえる声は嬉しそうに跳ねた。
直前までのやり取りをすっかり忘れてしまったかのように。

「…カイト、もうやめよ?」

「俺ハンバーグがいいなぁ。めーちゃんも好きでしょ?」
可聴域ぎりぎりの声量で呟いた言葉を、再び繰り返す気力はなかった。


***
「そうだなー…無視しろ」
私の相談を聞いたマスターはあっさり言い放つ。
「無視…、ですか?」
「あいつはお前の気を引きたくて自傷に走るんだよ。しばらく突き放しとけ」
「でも…」
そうは言っても、放っておけば何をしでかすか分からない。
退廃的な生活を送った挙句、ある朝起きたら首でも吊ってやしないかと考えるとそら恐ろしい。

私には負い目があるのだ。優しいマスターの元で幸せに歌を歌わせてもらえるという罪。
歌の指導でもして待っとけ、とマスターに言われてからもう数ヶ月経っているし…。

「大丈夫だ。あいつは今から忙しくなる。当分退屈はさせないさ」
きっぱりした彼の言葉に、俯いていた顔をばっと上げる。
「ってことはマスター!カイトのための曲…できたんですか!?」
「来月上げる予定だったけど…残業の合間にいいフレーズが浮かんできてな」
「本当に…?良かったぁ…」
心底安心したようにため息をつく私を見てマスターがけらけらと笑う。

「入れ込みすぎじゃないのか。そこは普通後輩に出番を取られて嫉妬するとこだろ?」
「そうでしょうか。私はいつもたくさんマスターに曲をもらっていますから」

「なあ。あいつはお前にとって何なんだ」

その問いかけに、すぐには答えられなかった。
ああそうだ。ミリアムには何て称されたのだっけ…。
「ただの後輩で弟です。家族を気遣うのに理由がいりますか?」
「…いや。聞いてみたかっただけだ。じゃ、明日にでもカイトを呼んできてくれ」


****
マスターが何を言いたかったのかよく分からない。
カイトはアイスが好きで、子どもみたいに明るく笑う。
Gが出たときは情けなく私の後ろに隠れるし、暇さえあればうざったいほど話しかけながら後を付いてくる。

けれどもその澄んだ歌声は綺麗で、抱きつかれるとあったかい。
時々見せる私より大人びた横顔は、どきっとするほど逞しく見えることもある。
彼に必要とされることに、頼りにされることに嫌な気持ちはしないのだけど。

彼のための、彼のためだけの歌ができたことを知ったら、あの子はどんな顔をするのだろう。
少し吊りあがった子狐のような目を丸くして、その後満面の笑みを見せてくれたらいいな。
きっとそうに決まってる。
だって私は今とても嬉しいのだから。

弾む足取りでいつもの帰り道を急ぐ。
自然に顔がにやけてくるのをこらえられなかった。
さあ、何て言って驚かせようか。


END


3ヵ月後…そこには元気に歌を歌うカイトの姿が!
「もうヤンデレで彼女の気を引いたりなんて絶対にしないよ!あとメイコは俺の嫁」

「…これ何てソードマスター?」

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