夏の彼女は元気だ。
きらきらした太陽の光も、湿度の高い宵の風も、一面が彼女の色に染まる真っ赤な夕暮れも、
メイコの魅力を存分に引き出し、味方につけていると言って間違いない。

「めーこ姉、見て見て!」
リンの楽屋に差し入れられた、向日葵の花束を渡した時の目の輝き。

「お姉ちゃん、綺麗なお魚がいるよ!」
ミクに手を引かれ砂浜を蹴る細いストラップのサンダル、跳ね上げる水飛沫。

「姉様。リンゴ飴……召し上がります?」
ルカとひやかす夏祭りの屋台の喧騒。
桃色の髪に紺のサンドレス、その隣で朱殷(しゅあん)の金魚を泳がせる乳白色の浴衣。

思うに、コントラストのくっきりした原色の季節は彼女の性に合ったものなのだろう。
それは胸が空くようなメイコの笑顔が青空を連想させるせいかもしれない。


酒温氷冷


「めーちゃん、質問なんだけど……」
何回かノックを繰り返したが、部屋の主は出てこない。
子どもたちは寝静まり、家の中で動いているのは僕くらいなものだ。
明日の収録で使う楽譜を片手に、少し遠慮しながらドアノブに手をかける。
夕飯の前に「煮詰まったら相談しよう」と打ち合わせていた彼女は、愛用のシングルソファで軽い寝息を立てていた。
長い睫毛が頬に影を落とし、お行儀よく結ばれた唇はいつもよりくすんでいる。
「あーあー、この人はもう……」
ローテーブルの上には楽譜とペン、そして中身はすでに冷え切っているであろう桜色の徳利とお揃いの猪口。
楽譜をテーブルの端に置き(僕のには折り目が付いているし、彼女のものとは違う色のペンで書き込みをしているため混じらないだろうと踏んで)、
白い顔を覗き込んだ。
酔ってうとうとしているのならばもう少し穏やかな寝顔のはず。
悩ましげに眉を寄せている理由は一つ。
腹の前で組まれた指に掌を重ねると明らかに僕のものとは違う温度。
7分丈の夜着から伸びる足はそれ以上の冷たさだろう。

メイコは寒がりだ。
朝誰よりも早く起きるのも、露出の激しい衣装がトレードマークなのも、本当は辛いのかもしれない。
それでも背筋を伸ばして胸を張って笑顔を絶やさないのは、ひとえに彼女の努力と精神力の賜物だ。
いつも身体を動かして、くるくるとみんなの世話を焼いて回って、見えないところで体調を整えている。
……はずだったのだが、隙のないメイコもたまにポカをする。
風呂上がりの温まった身体で熱燗を嗜み、厚着をする前にうっかり眠りの淵に誘われてしまったというところだろうか。
メイコがアルコールを好むのは、熱を灯らせる目的もあるのかもしれない。
燃料と称されるのもわりかし的確な表現だ。

「めーちゃん、おいで。お布団行こう?」
彼女の前に膝をつき、軽く肩を揺する。
安眠を妨げるのは可哀想ではあるが、このままだともっと不憫なことになってしまう。
「ぅん……。んー…?」
眠りは浅く、すぐに反応を示してくるが、覚醒はまだみたいだ。
抱きかかえるために上半身を寄せ、そっと背に手を伸ばすと、自分の体温で温まった背もたれから離されたメイコは身震いした。
が、この部屋で唯一の発熱体である僕に触れると、くにゃりと大人しく身を委ねてくれる。
無防備すぎてヤバい。可愛すぎる……!
薄い布越しに感じる二の腕は案の定冷え切っており、ベッドに運び入れた際に触れたつま先は僕の手の熱を瞬く間に吸い取ってしまう。
足元に湯たんぽでも用意するかと算段を立て、寝かせたメイコに掛け布団をかぶせたところ、何が気に障ったのか思いっきり顔を顰められた。
「やだ」
「んん? 何が?」
シャツの裾を白い指できゅっと引かれ、吸い寄せられるよう隣に寝転がると、メイコは子猫みたいに懐に潜り込んできた。
ああ、布団が冷たかったのか、と納得し、改めて上から布団でふわりと包むと二人分の体温が籠り、じわじわと温かくなってきた。
メイコは僕の胸元に顔を埋めているのですっぽり布団の中だ。
「めーちゃん、息詰まるから顔出して」
「やー」
せっかく足の先まで真っ直ぐに横たえたのに、布団をめくると同時に流れ込んできた冷たい空気にぎゅうっと丸まっちゃって、本当に猫みたいだ。
こんなに必死に僕に身を寄せてきて。
くっ……なんて愛らしいんだ! 狙ってるのか!
鼓動が早くなるのを自覚する。
「狙ってるんだよね、そうだよね! じゃ、遠慮なく……い゛っ!?」
太腿からじわっと伝わってくる氷のような冷たさに嫌な予感。
縮こまったメイコのつま先が僕の脚(血行絶好調)を探り当ててしまったのだ。
目標ロックオンとばかりに、はしっと両の足で包み込まれ、熱がどんどん吸い取られていく。
幾何も持たないうちに寒気が背筋を這い上がってきた。
こんなつもりじゃなかったのになあ。不埒なことを考えていた天罰か……。

「カイト、暖かい」
その声はふわふわして、どこか含み笑いで。
「めーちゃん、起きたの?」
「んーん」
「ダメでしょそんな薄着で。お酒切れたら寒いの分かってて」
「カイトが暖かいからいいの」
いやまあ、温いけどさ。どっきどきだけどさ。
「めーちゃん……何か機嫌いいね?」
「へへぇ……」
「あーもう何それ! 反則でしょ!」
メイコはにへらっと笑って僕のシャツの裾からお腹に手を突っ込んでくる。
少しぬるい掌とまだまだ冷たい指先。
「ちょ、くすぐったい!」
じゃれ合いながらも、可哀想だなとふと胸に影が落ちた。
こんなに細くって頼りなくって、僕の体温を分けてもなかなか温まらなくて。
だけどいつもニコニコ笑って小さい子たちの面倒を見て、だらしない僕の背中を押して。
お日様みたいにみんなを照らして、そのくせ自分はじっと寒さを堪えて誰もいないところで背を丸めてるんだ。

「カイト」
いつのまにかすべすべの紅い爪がついた指がちょこんと僕の両頬を挟んでいた。
「私は可哀想なんかじゃないわ」
紅茶色の瞳はゆったりと微笑んでいて、少し赤みの戻った唇は柔らかくほころんでいた。
「え、と。どの辺からだだ漏れ?」
メイコはやれやれと言った風にため息を吐き、僕の問いには答えなかった。
その手を取り、背中からすくい上げるように抱き寄せると、ひやりとした肩ごと彼女の甘い匂いが僕の腕に閉じ込められた。
「みんながいるから私は幸せなの。今だって、ねえ。私が凍えていたらちゃんとカイトが溶かしてくれるもの」
「めめめーちゃ、それはどういう意味で」
「また変なこと考えてるでしょ! 違うって……。いつもそばにいてくれてありがとうってことよ」
だって、ミクもリンもレンもいつだって私の周りにいてくれるもの。寒くてもへっちゃらだわ。
そう言ってくつくつ笑う彼女のはにかみは、見ているこっちがぽかぽかしてくるようで、
やっぱりこの子は太陽の化身だめーちゃんマジ天使! とか考えてしまう。
だけど、脱線させたのは僕なんだけど、なんか話がそれてるんだけど!
「めーちゃん、僕は? 僕はめーちゃんを溶かしてあげられるよ? 暑苦しいほどあったかい男だよ!」
弟妹たちに焦点が移ってしまうのがちょっと悔しい。
子どもじみた嫉妬心なんか燃やして、余裕がなさ過ぎてみっともないのは十分自覚しているけれど。

それこそおはようからおやすみまで物理的にも精神的にももちろん化学的にも生物的にもめーちゃん一筋だよ!
とまくし立てると、吹き出したメイコは息が乱れる程笑い転げた。
「何だよもー! なんか恥ずかしくて暑くなってきた」
くるりと背を向けて拗ねたふりをすると、メイコは慌てて後ろから抱きついてきた。
「ごめんごめん! だめよカイト。私は寒いんだから、いてくれないと困るわ」
もちろん僕は怒ってなんかいなくて、まだ収まらない含み笑いが背中に触れたおでこから伝わってくるのも、愛しく感じる。
けれど、ベッドから抜け出したいくらいに暑くなってきたのは本当だ。

ひとは生まれた季節が好きになることも多いと聞いたことがある。
11月生まれのメイコが寒さに弱いのはともかく、2月生まれの僕は典型的な冬生まれの暑がりなんだろう。
成人男性型の設定に合わせて、脚の露出は少ないし (新しい衣装ではブーツまで完備だ)、
上着はコートとご丁寧にマフラーまで付いていれば、明らかに冬仕様の見てくれである。
イメージカラーは言わずと知れたブルー。
寒さなんて全く怖くない。
その代わり、真夏の猛暑にはほとほと弱る。
厚着キャラは一種のネタでもあるから、どんな炎天下でも要望とあらばマフラー必須。
髪や目の色が涼しげだと言われても、見えないところに冷えピタ貼りまくってびしょびしょになるほど冷感スプレーを吹きつけまくって爽やか笑顔を維持しているのだ。
それはもう好物はアイスにしてくれと言わざるを得ない。
何より基礎体温がそもそも高いのだ。冷却効果のあるアイテムは必然的に手放せなくなる。

初めてメイコに触れた時、その手の冷たさに驚いた。
メイコ自身も、あまりの温度差に戸惑っていた。
打ち解けて話をするようになってから厚着をしたらと薦めてみたりもしたけど、どうやら元々冷たいのが彼女の個性で、熱いのが僕の個性らしかった。
体調管理も仕事の一つだからと説得し、以降のメイコは露出の少ない私服を好んで着ている。
聞くところによると、必要以上に肌を見せるのが好きな訳ではなかったらしい。
あまりにストイック過ぎるメイコには、単に衣装以外の服を充実させるという考えがなかったようなのだ。
さすが、後続機は発想が豊かなのねと感心されて面食らったのもいい思い出だ。

何しろ、頬や耳を真っ赤にして白い息を吐き、寒さを堪えるメイコは少女のように健気で、男の庇護欲をいたく煽ってくるのだ。
眼福などと言っている場合ではない。
幸い妹弟たちはメイコ程寒さに弱いわけではないが、やはりデフォ衣装の薄着に慣れ過ぎているようで、
たまにコートを上からひっかぶせてやるのが、冬の間の我が家の風物詩となっている。
(ちなみに夏生まれのミクは、暑い時期はメイコと二人夏バテ知らずの大活躍の立ち回りを演じているのだが、冬になると動きが鈍ってくる。
霜の降りた朝なんかは台所でココアを作るメイコにぺったり張り付いたり、双子の間に潜り込んだりと、ヒヨコのような挙動で兄バカ・姉バカ心を刺激してくる愛い子だ)。

「ねえカイト。私は体温低くて、朝辛いし冷え性で困るけど、可哀想じゃないのよ」
もごもごとメイコのくぐもった声が柔らかく耳を打つ。
「お風呂で温まるの好きだし、お酒でぽかぽかするのが得したみたいだし、みんながくっついてきてくれて嬉しいし、それにね」
僕の胸に回された指先が焦れたようにシャツを掴んで捏ねくり回す。
「カイトが……、カイトが世話を焼いてくれるのが心地いいの」
わああデレた! 最高にデレたよこれ!! というか今日デレっぱなしだよ!!!
「困らせちゃってごめんね。でもカイトに特別扱いしてもらえると幸せなの」
ヤバいどうしよう布団出れないよこれ。汗出そうなくらい暑いのに。むしろ目から汗出そうなのに。
「私、わがままなのかな」
もうやめて! カイトのライフはゼロだよ!!

僕のシャツを握り締めた左手をそっとほぐし、僕の右手と指を絡ませた。
「め、メイコはわがままじゃないよ。僕はメイコを甘やかすためにいるんだから……」
ごそごそと向き直ると、メイコはそれはそれは満足げな笑みを浮かべて、すうっと意識を手放した。

……うん。分かってた。

メイコは安心して眠りにつけたわけだし、可愛いところもいっぱい見れたし。
それにいつもメイコに世話やら心配やらかけてる僕が、メイコのことを助けてあげられていることが分かったし、
あまつさえメイコがそれを幸せとまで言ってくれるなんて。

……だけど。

「うん。ちょっと頭冷やそう」

頭どころか全身火照った状態はなかなか辛いものがある。ぐぬぬ……。
今度こそ布団を抜け出し、ベッドに腰掛けて一息つく。
二人分の熱が渦巻いているのは柔軟剤の香りが薄く漂う寝具の中だけで、部屋の空気はしんと冷えていた。
仕事の話をしにきたつもりが随分長居してしまった。
よく考えたら明日は朝早いし、そろそろ部屋に戻らなければいけない。
名残惜しいなと彼女の髪をさらりと撫で、未練がましい自分に苦笑する。
何を期待してたんだ僕は。

立ち上がると同時に、ベッドがぎしりと軋み、起きてしまったメイコが小さく声を漏らした。
薄く開いた目は眩しさに細められ、いかにも眠たそうだ。
「カイト。かいろ」
「へ?」
「早く」
「僕……のこと?」
こくりと頷いた彼女は再び目を閉じる。


迷いは一瞬だった。
ローテーブルに向かい、冷めた酒の入った徳利を引っ掴み、一気に呷る。
その足で部屋の電気を消すと、元来た道を慎重に戻った。
僕は今夜ボーカロイドから懐炉にジョブチェンジすることを宣言する。
メイコが望んだから。
何より、僕を乞うように伸ばされた手を冷たい空気にさらしたままにはできないから。
すでに熱が奪われ始めたそのかいなごと抱き込み、スリープモードへ移行する。
じきに酔いも回ってくることだろう。

目覚まし時計のセット時刻だけ確認し、僕の意識も瞬く間に沈んで行った。



「朝ごはんはあっため直すだけにしてあるから、戸締りだけお願いね」
「らじゃ!」
朝のリビングで、着替えたばかりのメイコが歯磨きを済ませたリンに指示を出した。
メイコは上着を取りに、リンはレンを起こしにそれぞれの部屋に慌ただしく向かう。
リンが戻ってきたら遅出のミク用のパンを残しておくよう一言言っておかねば、と前科のある双子を思い浮かべた。
メイコの準備ができたら今日は早々に二人で出発だ。
昨夜できなかった打ち合わせは向かう途中の車の中ですることに決めた。

メイコの飲みかけの日本酒は思ったより強く、すっかり熟睡してしまったのだが、今朝方彼女の部屋を出るときに楽譜だけは忘れず持ち出してきた。
今のうちに少し見返しておくかと鞄からファイルを取り出す。
運転役の僕はある程度頭に叩き込んでおかないと。

するりと抜き出したスケジュール表と、楽譜。
そのよそよそしさに目を見開いた。
おそらく寝ぼけまなこの僕が扱った際に付けてしまった手の跡の皺。
それ以外は真っ新で折り目なんかどこにも付いていなかった。
彼女は気づいているだろうか。
レンおはよう、んーいってら、と愛しいアルトとテンションの低い少年声が挨拶を交わし、テンポのいい足音が階段を下りてくる。
僕は仕事熱心なメイコの流れるような細い筆跡に口元をにやけさせて、彼女の到着を待った。






体格差萌えとか温度差萌えとかギャップ萌え全般を拗らせて随分経ちますが、未だに冷めやらぬ萌えポイントです。
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