「…そろそろ行かないと」
先に口を開いたのはメイコの方だった。
困ったように曖昧に微笑む目が、口元が、その存在すべてが、もうすぐカイトの前から消えてしまう。
「その……元気で、頑張って…」
取り繕った笑顔で、気付かれない程度に歯切れ悪く返事をする。
違う。違う。やめろ。どこかで声が聞こえる。
「ええ。ちゃんとご飯作って食べるのよ。ミクたちのこと…任せたわ」
「も、もちろん。大丈夫だよ」
ありったけの虚勢を張って、いつものように能天気に笑って見せた。
“カイト”はそうすべきだったから。
そう、よかった、と呟いた彼女は、小さく手を振り、彼に背を向け歩き出す。
買ったばかりの白いキャリーバッグが、細い手に引かれていくのをぼんやりと目で追い、長らく一緒に暮らしていたはずの彼女の私物は、たったこれだけだったのかと、佇むカイトはどうでもいいことを考えていた。


「お兄ちゃん…」
呆けたようにメイコの後ろ姿を見送るカイトの袖口を、いつの間にか追いかけてきていたミクがぎゅっと引っ張る。
「どうして?」
「…ミク、これはね、めーちゃんが決めたことなんだ。めーちゃんが自分で行くって決めたんだから、僕らは笑って見送ってあげないといけないんだよ」
そっと優しくミクの頭を撫でたカイトは、分別のある兄の役を淡々とこなす。
“兄”はそうであることが必要とされているから。

「なんでよ」
幼い妹はしかし、ぱしんと兄の手を振り払う。
「わたしは嫌!お兄ちゃんだってほんとは寂しいんでしょ!?」
ストレートに感情を表現できる妹が、カイトには羨ましかった。
メイコの負担にならないように、彼女が気に病まないように、物分りのいい弟を演じている自分が、ぐらりと揺らぐのを感じた。

「ねえ、止めてよ…!お姉ちゃんを止めてよ!何とかしてよお兄ちゃん!!」

髪を振り乱し、紅潮した頬で泣きわめいて、めちゃくちゃに上着を引っ張るミクのせいで、とうとう理性で押さえていた感情が堰を切ったように溢れ出し、カイトの顔が歪む。
「…っ!!ぼ、く…だって……っ!嫌だ!めーちゃんがいなかったら、僕は一日だって……っ!生きられるもんかっ!」

いい子にしていたのは、メイコのため。反対しなかったのは、メイコのため。
メイコによく思われたくて、頼られたくて、好きになってほしくて、全部全部メイコのために振舞ってきた。
そのメイコがいなくなってしまうのに、今更守るべきルールなんて、ない。
喉の奥からせり上がってくる嗚咽を、食いしばった歯の間から吐き出す。
顔を覆う指の隙間から、溜め込んでいた涙が零れ、頬を、腕を伝い、ぽたぽたと地面に黒い点を描いた。

しばしの間をおき、示し合わせたかのように、二人はお互いの赤く腫れた目を正面から見つめあう。

「…ミク、めーちゃんを取り戻しに行こう」
「当たり前だよ。たとえ――」






「メイ姉いつ帰ってくるんだっけ?」
「3泊4日だからー土曜日?」
「バカ。4日後なら日曜日じゃんか」
「そだっけ。あたしねーみかんゼリーとみかんロールお土産に約束してもらったー」
「はぁ!?ずりーよ!抜け駆けしやがって!」
「レンにもきっと何か買ってきてくれるよー。バナナがあったかどうか覚えてないけど」
「あーあ。オレらもいつか行けるようになるかな。単独ライブツアー」




何はともあれ、めーちゃんがいないと僕は生きていけないんだー!なカイトが私の中でデフォです。
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