「カイ兄ーおかわりー」
「あたしも!」
サンドイッチをもぐもぐと口に詰め込みながら、リンとレンがジュースのコップを持ってキッチンに突撃してくる。
「あーもー、ゆっくり食べなって。飲み物は持ってってあげるから」
と言っている間に双子は自ら冷蔵庫のポケットから黄色の野菜ジュースを取り出し、奪い合うようにコップに注いでいる。
「ミクもお代わりいるよねー?」
「うん、ありがとうお兄ちゃん」
双子の頭越しにダイニングに呼びかけると、お行儀よく椅子に座ったミクの返事が返ってくる。
「座って飲みなさい。あとこれミクに持ってってあげて」
キッチンを出ていくレンに緑の野菜ジュース(ネギプラス)をついでに託す。

外は晴天。昨夜降り積もった雪はじきに溶けてしまうだろう。
相変わらず寒い朝にもかかわらず、子どもたちは今日も元気いっぱいだ。


てっぺんは、閉じた世界


「ごっそさん」
「さまー」
「お兄ちゃん、おいしかったよ」
皿とコップを流しに置き、レンは二階の自室に駆け上がっていく。
ミクは髪を結いに洗面所へ。
飲み足りないのか、黄色の残るコップに牛乳を1/3程継ぎ足して呷るリンにお使いを頼むことにした。
「リン、お寝坊のめーちゃんを起こしてきて」
「らじゃ。めーこ姉今日休み?」
「そうだよ。でもせっかくいい天気だしね」
「そだね。カイト兄ちゃんと遊びに行きなよって言ってくる!」
「僕はいい妹を持って幸せだよ」
しみじみ思う。

今日は僕もオフ。
特にこれと言った用事はないけれど、二人でのんびり買い物でも行こうかな。
昼間は気温が上がるそうだから、せっかくの雪景色も今が見納めだろうし、庭を眺めながらの朝食もなかなか乙なものだ。
めーちゃんにはコーヒーでも入れてあげよう。

洗い物を片づけながら今日の予定を組み立てていると、
「いってきます!」
「まーす」
騒々しい足音が二人分、二階から降ってくる。
「まってまって」
ぱたぱたとミクがそれを追いかけ、玄関のスペースの奪い合いが始まった。

と、リンがキッチンに戻ってきた。
「めーこ姉ちゃん起こしてきたよ。まだ眠そうだった」
「昨夜遅くまで飲んでたからなー」
「え、もう朝なの?って言ってたから、少しぼーっとしてるかも」

「リン!置いてくぞー」
「ちょっと、待ちなさいよバカレン」
じゃ、ごゆっくり、と言い残したリンの足音が玄関の向こうに消え、一気に静けさが戻ってきた。

めーちゃん遅いな。もしかしたら二度寝したのかな。
首を傾げたその時、軽い足音がゆっくり階段を下りてきた。

「めーちゃん、おはよう!」
「…おはよ」

すでに自室で着替えてきたメイコは、髪に少し寝癖がついている以外は普段通りの格好だったけど。
「めーちゃん、インナー少し下がりすぎじゃない?」
「あら。そうかしら」
僕の指摘にさしたる驚きもなく呟いた彼女はしかし、胸元を隠すでもなく俯いたまま。
この光景はさすがに目の毒だ。
濡れた手を拭い、裾を引っ張って直してやる。
「ありがと」
微笑むメイコは、顔を洗いに洗面所へ向かった。
コーヒーをいれようかと声をかけたが、今日はオレンジジュースの気分なのと返される。
壁に手を触れ、俯き加減でゆっくり歩を進める後ろ姿は、体調が悪いとまでは言わないが、やはり昨夜の酔いが残っているのだろうか。
やや頼りない足取りに見えた。


メイコが席に着いたタイミングで、橙色のコップをテーブルに置く。
自分用のコーヒーを取りに戻った僕の背越しに、爪がコップを弾くカチンという音が響いた。

「調子はどう?昨夜飲みすぎたりしてない?」
「大丈夫よ。言うほど飲んでないわ」
僕の言葉にメイコは肩を揺らして笑う。
彼女の茶色の髪は陽光をあびてキラキラと輝いていた。
「めーちゃん、今日は買い物でも行かない?お昼は駅前のパスタ屋さんにしてさ。行ってみたいってこないだ言ってたよね」
「あ、ごめんね。今日はちょっとラボに顔を出さないといけないの」
「え、そう、だっけ?」
「昨日の夜メールが来てて。新しいバージョンが仕上がったからパッチをあてにね」
「そっかぁ…」
「そんなに遅くはならないと思うから、帰ってきたら夕飯の買い物に行きましょう」
「じゃあ、僕もラボ付き合うよ。適当に暇つぶししとくから、終わったら連絡して」
僕の申し出は却下された。レンが早めに帰ってくるから、お昼を用意してあげてほしいとのことだった。

「分かった…。今日は寒いから十分温かくして出かけるんだよ」
「そう?こんなに日が射して暖かいんだから、外もそんなに寒くなさそうだけど」
窓の外を向いたメイコの顔に光が当たり、その透明感のある肌の眩しさに思わず口づけたくなり…ふと気づいた。

眩しい?

どうしたの?と僕を見るメイコには、僕の背後から射す陽光がまっすぐ当たり、眩しさに細めるはずの琥珀色の瞳の、瞳孔は開いたままだった。
薄明りのもとで見るメイコの丸くて大きな眼が、今も変わらずに僕を。

「――め」

「ちょっと、聞いてるの?カイト」

思わず伸ばした僕の手は煩わしそうに払いのけられた。

気のせい…なのか。

メイコは僕を見ている。けれどその視線は微妙にピントが合っていないような印象を受けた。

「あ、いや、…今日は何時ごろ出かけるの?」
口から出てきたのは全く別の言葉。

「そうね。お昼頃着けばいいから、あと一時間くらいはゆっくりしているわ」

ごちそうさま、とコップを持って席を立とうとするメイコを押しとどめ(今朝は僕が当番なのだから)キッチンへ向かう。
洗い物を終え、流しを拭き終えて戻ると、メイコはソファに腰掛け、朝のワイドショーを見ていた。

「めーちゃん、隣いい?」
「あらなに?いつも勝手にくっついてくるのに?」

いや別に、と適当に答えながら、メイコの横に陣取り、テレビを見つつも横顔をうかがう。
さっきは考えなしに日の光を遮ったから、顔に当たる熱と、風圧で感付かれたのかもしれない。


「あ、めーちゃん、今映ってるのこの前打ち上げで行ったバーじゃない?」
都合のいいことに、メイコの注意を逸らすチャンスが訪れた。
「本当…」
テレビに視線を向けるメイコの前に、そっと手の平をかざす。
「めーちゃんも飲んだよね、あのワイン」
「そうね、でもやっぱりいつも行くお店の赤が好きなのよ私」
会話だけなら一級だ。
並んでテレビを見ながらあれこれおしゃべりする一組の男女。
僕が泣きたくなるのは、彼女のすぐ目の前に僕の手があるのに、それが見えないかのごとく、しゃべり続ける彼女。
否、本当に視えていないのだ。

「めーちゃん……」

たまらなくなって、かざした手で両眼をひたっと塞いだ。

「っ!?」

メイコは大げさな程びくっと体を震わせ硬直した。

「カイト!いやっ!!離して……!」

「ごめん……めーちゃんごめん!」
視覚が働いていない彼女にとっては気配もなく突然触れられるのと同じことだ。
僕が思っていた以上の恐怖を味わわせてしまった。

喉を塞がれたように呼吸を荒らげ、取り乱すメイコを抱きしめる。
押さえつけると言うのが正しいのか。
強くかき抱いた。

「めーちゃん、こっち向いて」
少し落ち着いた彼女の顎を引き、僕の方を向かせた。

理不尽に扱われた怒りと、不安で泣き出しそうな表情が混じった目は、夜行性の獣のように美しく、月のように虚ろだった。

「いつから、見えないの?」

「……今朝。リンが起こしに来てくれたけどあんまり暗いから冗談かと思ったわ」

メイコの夜はまだ明けていないのだ。

「なんで…こんな大事なこと僕に黙ってるの?」

詰るようにぶつけた問いに、虚ろな目が揺らぐ。

「あんたに心配かけたくなかったの。ラボで見てもらえばきっとよくなるし」
「そんな状態で一人でラボまで行かせられるわけないよ!」
その丈の短い服は一人では完璧に着られない。
壁に手を付いていないと洗面所まで行くことすら億劫で。
ガラスのコップを落として割ってしまうかもしれない。
何より、無防備なその眼は外に出たらたちどころに陽に灼かれてしまう。

「駄目なの。あんたに頼ってばっかりだと自分が駄目になりそうなの。私はこの家で一番しっかりしてないといけないんだから」
「違う!一方的に頼ってるのは僕の方だ。だからめーちゃんも僕を頼ってくれないと、めーちゃんが壊れちゃう」
「そんなことない。私は自分のことは自分でできるわ。気持ちは嬉しいけど、これは私の問題なの」
何言ってるんだ。そんな折れそうな声でそんなこと言われても、手を出さない方が無理だ。

「嘘だね。めーちゃん僕を試しただろ。本当は独りで怖くてたまらなかったはずだ」

「た、めした?私が?あんたを……?」

「本当に気づかれたくなかったら、僕が外出するまで待って部屋から出てくればいい。
 でも、めーちゃんは僕が近づいてきても遠ざけなかった。苦労していつも通り振る舞って、それでも僕が勘付くか試してたでしょ」

勢いに任せて口走って、しまったと後悔した。
気づいてほしかったんでしょ、などとは自分は一体何様だ。
なんて挑発的な、そして自意識過剰な。
正直拳が飛んできても仕方ないなと観念した。

「……私、カイトにそんな酷いこと」

うめくようにメイコがこぼした。
酷い?な、なんでそうなるの……?

「違う…違うと思いたいけど、そんなつもりなかったけど…きっとそうだわ。あんたの言う通りよ」
メイコの吐息のような独白はぼそぼそと続いた。

見えているふりをした。会話も合わせるようにした。
でも本当は自分の弱さを押し付けたかった?自分の問題なのに身勝手な不安をぶつけようとしていた?

「カイトは、優しいから、私のこと心配してくれるって……だから気づかれたらいけないって、でも多分本当は助けてほしくて……」

ひどい自己中だわ。と呟き、メイコは僕から顔を背けた。僕に背を向けて涙を落とした。

僕は不謹慎だけど、本当に不謹慎だけど、メイコが愛おしくてしょうがなかった。

「めーちゃん、僕はめーちゃんの助けになりたいよ。試したりなんかしなくても、僕を信じてよ。そりゃあ…多分に頼りないかもしれないけど」

僕に見えないように声を殺して泣いているめーちゃんは間違いなく甘え方が下手くそな長女だった。
それなら僕が存分に甘やかしてやるほかないだろう。
こんな時のために磨いてきた兄力だ。

背中から抱きとめて、髪を撫でて、指と指を絡ませて、冷たい涙を拭って。

「めーこ。僕と一緒に、ラボに治しに行こ?真っ暗な世界は寂しいだろ」

メイコはうん、と小さく頷いた。



レンに書き置き。
「チャーハンが冷凍庫に入っています。バナナはリンと分けて食べること。夕飯までには戻ります」

戸締りOK。

メイコの靴を車へ。

「お待たせめーこ。鍵だけ持ってて」

家の鍵を握りしめたのを確認して、手をつないで玄関まで歩く。

自分の靴を履いて。

「めーこ。おいで」

来てくれるかな。

……よし。いい子だ。

もこもこのコートを着た、ちょっと大きい子どもを抱いて、玄関を出る。

鍵を閉めて。

さあ、出発。

早くメイコの世界に色を戻してあげなくちゃ。




END





ちなみにメイコのメンテには一泊かかり、弟妹達からはブーイングの嵐でカイトは理不尽やら寂しいやらで辛い一夜を過ごしましたとさ。
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